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Ever17考察 プレイヤー

このページはEver17考察の一部です。全体像はEver17考察をご覧ください。

真の主人公=プレイヤーとする超人的介入説を主張する人が居ます。 そう考えるのもアリかなっと思ってた時期がありました。 しかし、残念ながら、プレイヤーは主人公の必要条件を満足していません。

ゲーム中の描写

論点を以下の3つに分けます。

  • 表向きの主人公とは別の真の主人公が存在する・・・(A)
  • プレイヤーは主人公の視点で物語世界を見ている(主人公=プレイヤーキャラクター)・・・(B)
  • 真の主人公の正体はプレイヤーだった(真の主人公=プレイヤー)・・・(C)

Ever17には、(A)や(B)のような常人的介入設定の範囲の描写は多々ありますが、(C)のような超人的介入説を裏付ける描写は皆無です。 (C)の解釈を採用する人は、恐らく、(A)や(B)と(C)を区別できていないのだと思われます。 しかし、(C)は、(A)や(B)とは明らかに違うことであって、(A)や(B)の示す描写は(C)を示していることにはなりません。

考察の基本原則のとおり、作品中に示されていない設定については、常識で補完されると考えるのが妥当であって、作品中で示されていない超常設定は作品に反する設定です。

欲張りな犬

Ever17では、必ずしも超人的介入説であることを必要としない。 何故なら、作者のご都合主義はゲームの世界の外にまで及ばないからである。 全てのプレイヤーがどのような考えを持つか正確に予測し、そのプレイヤーの最大公約数を設定に反映しなければ、超人的介入説のような設定は説得力を持ち得ない。 真の主人公の考えに対してプレイヤーが「俺はそんなこと考えないぞ」とか、真の主人公の行動に対してプレイヤーが「俺はそんなこと絶対にしないぞ」とか思ってしまったら、それだけでこれまで築き上げてきた物が足下から崩壊する。 そうした失敗を犯すくらいなら、無難にブラックボックスとして扱った方がマシだろう。 むしろ、こうしたゲームの主人公は、隠し事を強引に成立させるために、普通のプレイヤーの意に反する行動をとることが多く、超人的介入説に説得力を持たせることは難しい。 Ever17も例に漏れず、隠し事を成立させるための不自然な行動がよく見られる。 何より、Ever17は超人的介入説を持ち込まなくても十分に素晴らしい物語であり、無理してブラックボックスをひとつの可能性に絞り込まなければならない必要性はない。 そして、Ever17の本来持っている素晴らしさに比べれば、超人的介入説は全く持って取るに足りない設定であると言える。 いや、むしろ、そうした設定を持ち込むことで、Ever17の素晴らしさが返って損なわれかねない。 喩えるならば、『欲張りな犬』ようなもの*1であろう。 ならば、そうまでして、超人的介入説に拘る必要はないだろう。 もうそろそろ超人的介入説のような低俗で無意味な考察モドキは止めにしないか?

ご都合主義には驚かない

登場人物がプレイヤーに呼び掛けるような格好になったとしても、大抵のプレイヤーは、それが本気でプレイヤーに呼び掛けているとは気付かない。 未知の登場人物がいるんだ、くらいにしか思わない。 応答のない呼びかけを何度も繰り返せば、プレイヤーに呼び掛けているつもりなのかと気付くだろうが、せいぜい、無謀な設定に挑戦していると第三者的視点で傍観を決め込むだけだろう。 何故なら、ご都合主義的設定を作るだけなら、どんな設定でも作者にとっては作り放題だからである。 貴方は、ハリー・ポッターが魔法を使ったら、驚くだろうか。 設定によって可能になっていることや、設定に基づいて起きることに驚くのは、設定その物に驚くのと等しい。 そんな誰でも作れて当然の万能な設定そのものには驚く要素は全くない

もし、登場人物がプレイヤーの思考や行動を当てたなら、誰もが驚くだろう。 たとえば、貴方が、アンパンをかじりながらゲームをプレイしていたとする。 そこで、登場人物が「貴方は、今、アンパンを食べている」と言えば、それは、驚きに値する。 予測困難*2なプレイヤーの思考や行動について、作者が予想を的中させたなら、それは、ご都合主義では説明がつかない。 そうした預言を何度も的中させれば、驚かない方がおかしい。 そこまでの仕掛けを用意したなら、超人的介入説にも説得力がある。 その場合、凄いのは、超人的介入設定ではなく、それを真に受けさせるだけの預言の的中率*3である。

しかし、一見して登場人物がプレイヤーに呼び掛けたように見えても、それが、作者の意図したとおりだとしても、何の預言もなく呼び掛けるだけなら、ハッタリだと見抜くのは容易であり、余程のお人好しか世間知らずでもなければ驚くことはあり得ない。 本気で魔法や超能力を信じてなければ、ゲーム世界と現実を繋ぐことが出来ない、もしくは、出来たとしても現代科学を遥かに凌駕する技術が必要で、現代のコンシューマゲーム機の性能やソフト開発程度でどうにか出来るものではないことくらい分かるはずである。 それでは、作者の意図が読めたとしても、本気で驚いたりすることはあり得ない。 事実、Ever17では、預言等に類する仕掛けは用いられていない。 ただ、登場人物からの一方的な呼びかけがあるだけである。これでは驚けと言う方が無理だろう。

軽い気持ちで演出と割り切ってノっていこうにも、登場人物からの呼び掛けに応じる機能がついていない以上、プレイヤーとしては傍観者であり続けるしかない。 真の主人公が傍観者から主体的登場人物へ脱皮しても、相変わらずプレイヤーは蚊帳の外である。 プレイヤーは、ただ、画面を流れて行く音声付きテキストをじっと眺めながら、たまに現れる選択肢を選ぶことしかできないのだ。 これまでプレイヤーと同様の傍観者に過ぎなかった真の主人公が、プレイヤーとは掛け離れた存在へと変わって行くのを、プレイヤーは見ているだけしかできない。 結局、主人公とプレイヤーのギャップを再認識させられるのが関の山である。

公式設定

何をもって「公式設定」と呼ぶかは人によって見解が分かれるでしょう。 先付け設定だけが「公式設定」と呼べると言う人もいるでしょう。 後付けでも作者が断言すれば「公式設定」と認める人もいるでしょう。 権利者が認めれば「公式設定」と認める人もいるでしょう。 何を「公式設定」とするかは人によって見解が違うので、「公式設定」を基準にしようとしても、万人に通用する考察は難しい。 しかし、作品本体こそが最上位の公式設定であることは万人共通の基準です。

いや、もっと、そもそも論を言うなら、作品本体以外の「公式設定」の必要性自体が疑問です。 完成した作品であるなら、その作品から設定を読み取れば良い。 作中にない設定は各自が自由に想像で補完すれば良いのであって、余計な後付け設定を公表することはユーザーから想像の自由を剥奪する行為です。 ユーザーの自由な想像で解決できない問題があるなら、それは、作品が「公式設定」を必要としていると言うよりは、単に未完成なだけです。 ましてや、最上位の公式設定である作品本体と矛盾するような「公式設定」など必要ありません。 設定マニアは公式設定を多数出してほしいと思うかも知れないけれど、純粋に作品を楽しもうとするなら、「公式設定」は百害あって一利なしです。

以上を踏まえて、作品と「公式設定」が矛盾するとき、どちらを信用すべきなのでしょうか。 物語などどうでも良い、設定だけが大事だと思うなら、「公式設定」を絶対的に不可侵なものとして神聖視し、矛盾する部分は作品の描写が間違ってると脳内補完してでも、「公式設定」を採用すれば良いでしょう。 しかし、物語あっての設定だ、作品の完成度を下げる陳腐な設定は受け入れられない、と思うなら、物語と矛盾するような設定の方を一蹴すべきではないでしょうか。 貴方は、設定マニアですか?それとも、物語のファンですか?どちらの立場に立つかによって、何を採用すべきかは自明の理でしょう。

どうしても「公式設定」が大事だと言われるならInfinity plusのPremium Bookをご覧ください。 そこでは、超人的介入設定(主人公とプレイヤーが同一人物)がヤンワリと否定されています。 以下引用。

打越 話は『メモリーズオフ』にまでさかのぼりますが、当時、主人公があまりに個性的すぎるとユーザーさんからのお叱りの声が多くて。それを反省点として、行動を常識の範囲内に収めた主人公が『Never7』の石原誠です。『Ever17』の“****”もその延長線上にあります。とにかく主人公=プレイヤーであるという認識を徹底的に高めることで生まれた要素ですね。
中澤 プレイヤーと主人公がいっしょに驚いて、いっしょに悩む。それを心がけました。プレイヤーの知らないことは主人公にも知らせないということに徹していましたね。情報量が同じなら、驚きや悩みをすんなり共有できますから、そこから感情移入してもらおうという狙いでした。

インタビューでは「主人公=プレイヤー」と明言されていますが、それが、常人的介入設定を指すのか、あるいは、か、超人的介入設定指すのかは具体的に言及されていません。 前後の話の流れから見て、その等号の意味は、超人的介入設定(両者が同一人物である)を指しているのではなく、常人的介入設定(プレイヤーが主人公に対して一体感を持つ)を意味しているようです。 プレイヤーを驚かせる目的で超人的介入設定(主人公=プレイヤー)にしたのではなく、個性の強さを反省した結果、常識的な行動を取らせ、情報を同一にして、驚きや悩みを共有して感情移入することを目的としたものです。 つまり、プレイヤーと主人公の一体感を求めたのであって、トリックの一環として超人的介入設定(主人公=プレイヤー)を持ち込んだわけではありません

それにしても、石原誠やEver17の主人公の「行動を常識の範囲内に収めた」ですか。 とても、そうは見えない。 あまりに非常識過ぎて我慢がならないくらいです。 とくに、Ever17の方は、隠し事を成立させるためか、明らかにおかしな行動を取り過ぎてる感があります。 「志村(←名前違うけど)、後ろ〜!後ろ〜!」って何度叫んだことか。

当初構想

初回限定版の特典ブックレットには、当初構想において、真の主人公の存在が明かされる場面で、そこに映っている人物が真の主人公という旨の台詞とともに、画面を真っ黒にする演出が用意されていたと書かれているらしい。 それは、ディスプレイに反射したプレイヤーの姿=真の主人公の姿*4という趣旨らしい。 しかし、実際には、その演出は少しも採用されていない。 超人的介入設定(真の主人公=プレイヤー)は当初構想にはあったが実現できずに採用を断念した。 それが唯一絶対の「公式設定」であろう。

知識格差

叙述トリックの条件にも書いてあるとおり、プレイヤーは首謀者が仕掛けた隠し事により【真の主人公に提供される情報】そのものを見ることができず、それによって誤認した事実しか見ることができません。 また、真の主人公が最初から持っているはずの知識は、プレイヤーには全く提供されません。 よって、真の主人公とプレイヤーの間には、知識や知覚に大きな差があります。 これらは真相を隠すために意図的に行なわれた情報制限であり、これを作者が認識していなかったとは考えられません。

ロリコン

真の主人公=プレイヤーはプレイヤー=ロリコンと同義です。詳細はEver17駄考察で。

Last modified:2010/08/08 08:58:32
Keyword(s):[Ever17]
References:[Ever17考察] [Ever17レビュー]
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*1 イソップ物語『欲張りな犬』(あらすじ)……ある日、肉をくわえた一匹の犬が、川の上の橋を渡っていました。 ふと、橋の下を見ると、自分よりも美味そうな肉をくわえた犬がいます。 犬はそれを見て、思いました。 「あの肉の方が、おいしそうだ。 よし、アイツを驚かして、あの肉も取ってやろう!」 犬は、橋の下の犬に向かって、思いっきり吠えました。 その途端、自分のくわえていた肉は、川の中に落ちてしまいました。 見ると、橋の下の犬も、がっかりした顔でうなだれています。 橋の下の犬は、水面に映った自分自身の姿だったのです。 ……欲張りすぎると、結局、損をしてしまうという物語。

*2 何か食べながらプレイする行儀の悪い人は少数派だろうし、その中でも、アンパンを食べる人は限られている。

*3 ただし、多数のプレイヤーの行動を高確率で的中させたとしたら、そこには何らかの暗示手段を用いられている可能性が高い。 暗示手段を用いてプレイヤーの思考や行動を意のままに操ったうえで、登場人物にプレイヤーの思考や行動を当てさせたことになる。 それを実際にやったら、大きな社会問題になると思われる。

*4 反射しない素材のディスプレイを使っていたらどうするのだろう?