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メモリーズオフ5とぎれたフィルム仙堂麻尋考察

総論

仙堂麻尋のことを酷評する人がいる。 確かに、プレイヤーの立場から一方的に評価すれば、彼女の行動はやることなすこと全て最悪で救い様がない。 しかし、主人公を含む個々の登場人物について、プレイヤーの想像をはるかに超えた特殊事情や価値観を表現しているのが、メモリーズオフが他の恋愛ゲームと一線を画する所。 仙堂麻尋についても、他人から見れば理解できない行動も、本人の立場に立って考えれば、全て、納得いくだけの理由が用意されている。 これは、仙堂麻尋に限ったことではない。 これまで、メモリーズオフにも、俗にツンデレと呼ばれるような生意気なヒロインも多数登場した。 しかし、それも、彼女達の立場で考えることができれば、全て、全く腹が立ったりしないはず。 それを理解してこそ、メモリーズオフを理解したと言える。 それなのに、リバースカットまで用意してもらいながら、メモリーズオフの神髄を理解しようとしないとは、何ともったいない。

また、各キャラの発言内容が必ずしも本心ではないということも気をつけて見る必要があるだろう。 人間は、アンドロイドと違い、感情を持っている。 感情を持っているからこそ、常に理性的な行動をとる・・・ことができない。 だから、時には、本心とは逆のことを言ったり、自分の考えではないことを口走ったりする。 だから、発言内容=本心という前提で非難する前に、その前提が本当に正しいのかどうか検証する必要がある。

感情による天の邪鬼に限らず、人間には事実誤認もある。 その誤認をケシカランと切り捨てるのも、人間性を無視している。 確かに、アンドロイドの性能を評価するなら、認識が正確かどうかを第一に考えれば良い。 しかし、人間はアンドロイドではないではない。 認識がどんなに不正確であったとしても、その認識に正当な理由があるならば、それを非難するのは的外れ。 例えば、「無責任」という言葉を使った場合、その言葉を使った人間の評価として大事なのは、その認識が正しいかではなく、「無責任」と感じるだけの正当な理由があるかどうかである。 もし、自分が他人の想像を絶するような体験をしていて、相手が同様の体験をしてないと認識しているなら、「無責任」という言葉が出て来るのにも正当な理由がある。

本編実例

日名雄介の死

日名雄介の転落死は、日名雄介がお節介で自発的に行動したことが原因であり、仙堂麻尋が頼んだわけではありません。 その原因となった児童虐待についても、加害者は仙堂晋一であり、仙堂麻尋には何の責任もありません。 だから、仙堂麻尋には、事故を予見すべき責任も回避すべき責任もありません。 よって、仙堂麻尋にとって、日名雄介の転落死は回避不可能な不幸な事故に過ぎず、その責任を仙堂麻尋に追求するのは間違っています。

児童虐待

仙堂麻尋にとって、相手は大人で男で親(=女の子にとって反抗するにはあまりに強大な存在)。 そして、実際に、何度も暴力を振るわれて大怪我をさせられている。 既に大きな恐怖感を植え付けられており、この状況に置かれて、自ら立ち向かえと言うのは無理。

対して、日名雄介にとって、仙堂麻尋の父親は他人であり、同性である。 大学生で背が高ければ体格的なハンデもない。 加えて、暴力を受けたことも、大怪我をさせられたこともない。 また、試みが失敗した時にとばっちりを食うのは仙堂麻尋である。 だから、心置きなく立ち向かうことができる。

立場が違うのだから、日名雄介に簡単にできることが仙堂麻尋にできないのも当然。 もちろん、自ら立ち向かう必要性を説くのは正論であり、実際、そうしなければ状況は決して改善しないだろう。 しかし、何がベストの行動かということと、それを実行可能かどうかは別問題。 理屈では分かっていても恐怖で足がすくんで実行できない。 そうした当事者の事情に対して、具体的な対策を示さずに正論を説くだけなら、無責任と思われるのも当然

最近でこそ、ドメスティック・バイオレンスや児童虐待は世間に認知されつつあるけれど、一般には、軽視されることが多い。 夫からの暴力が原因で別れたいと言う女性に対して、軽々しく復縁を勧める無責任な人が如何に多いか。 もうね、アホかと。 馬鹿かと。 だから、仙堂麻尋が正論を説く奴に対して、またか、お前もかと思うのは自然の成り行き。

真相を話さない理由

簡単な説明ならイザ知らず、詳細な説明をしようとすれば、事件を思い出すことは避けられない。 思い出したくないほど辛い記憶なら、説明したくないのも当然。 父親と日名雄介は転落死した。 転落した原因はもみ合ったから。 諍いの原因は自分。 それが目の前で起きれば強烈なトラウマになるだろう。 人の死は、それほど重い問題である*1

それに、仙堂麻尋は対人関係の経験値が少ない様子で、他人と上手に接することができない。 リバースカットをやれば分かるが、仙堂麻尋が大胆不敵に見えるときは、必ず、何らかの心理的弱みがある。 この手の人は、長々と説明して拒絶されることを嫌い、説明せずに理解してもらえない方がマシと思う。

以上のように、仙堂麻尋のような境遇に置かれれば、事件のことを説明したがらないのも、全く不思議ではない。

日名家の事情

日名あすかと日名えりか(日名あすかの母親)の仲違いは、真相とは直接的な関係がない。 日名えりかは、不満のはけ口として仙堂麻尋を都合良く利用するために「犯人を恨むのは当然」と自己正当化しているだけであって、それは、仙堂麻尋が真犯人であるかどうかは全く関係がない。 日名えりか自身が、現実を直視して不幸から立ち直らない限り、真相が明らかになっても、どこかに代わりのはけ口を求めるだろう。 だから、うかつに仙堂麻尋の無実を証明してしまっては、不満のやり場を失ってしまって、かえって、日名あすかとの関係が悪化する危険性がある。 このように、この件は、日名えりか個人の問題。

そもそも、両者の仲違いの最大の原因は、日名あすかのカメラ恐怖症と、それに対する日名えりかの無理解であり、日名雄介の死は副次的な要因に過ぎない。 いや、日名雄介の生前から母娘の仲は険悪だった。 ただし、日名雄介の存命中は母娘の直接的な衝突の機会は少なかったろうし、日名雄介が生きていれば彼が両者の関係を修復することを期待できた。 その点で、日名雄介の死が、母娘の関係を悪化させたとは言えるだろう。 しかし、日名雄介を生き返らせることができない以上、仙堂麻尋に直接的にどうにかできる問題ではない。

日名雄介の言葉

仙堂麻尋は、日名あすかから嫌われており、まともに話を聞いてもらえる状況さえ作れず、弁明は極めて困難。 仙堂麻尋側から何かアクションを起こそうとすればするほど、日名あすかから反発を受け、余計に事態が悪化することが予想される。 また、仙堂麻尋の事情を理解し、かつ、日名あすかと接点を持つ協力者も居ない。 よって、仙堂麻尋としては、機が熟すのを待つ以外に手段はない

麻尋編で、日名雄介の言葉を伝えることができたのは、日名あすかの失態と観島香月の活躍によって、ようやく落ち着いて話せる状況になったから。 そうでなければ、永久に話す機会はなかったかも知れない。 つまり、仙堂麻尋側から見れば幸運*2で機が熟したに過ぎない。 とはいえ、もし、事態を悪化させていたら、日名あすかが観島香月の説得に応じる確率が下がるだろうから、機が熟すこともなかったかも知れない。 成功は結果論ではあるが、確率的に見て、判断には合理性が認められる。

  • 事態が悪化する → 成功確率1%
  • 機が熟すのを待つ → 成功確率10%

これならば、後者を選ぶのが合理的判断だろう。

encore

他者への気配り

他者への気配りをレベル分類すると、

  • 自分の視点からしか物事を捉えられない・・・【a】 → 全く気配りができてない
  • 相手の視点に自己基準を当てはめて考える・・・【b】 → 相手の事情が推測不能な場合の限界点
  • 相手の視点に相手の基準を当てはめて考える・・・【c】 → 理想の気配り

分かりやすい事例を挙げると、例えば、相手を殴ることを考えます。 殴られた方の痛みを全く考えないのは【a】です。 自分が殴られたら痛いから相手も痛いだろうと想像するのは【b】です。 そして、相手が口内炎を煩ってるかも知れない等、相手に自分とは違う事情があることを考慮して、「もしかしたら自分が殴られるよりも痛いかも知れない」と考えるのは【c】です。

仙堂麻尋は、日名あすかへの気配りとして【c】*3が、一条秋名への気配りとして【b】が、それぞれ、できています。 一条秋名への気配りについては、彼女の事情を知り様がない(プレイヤーと同等の知識を登場人物に求めるのは無茶)こと、仙堂麻尋自身にもそこまで踏み込める精神的余裕がないことを考えれば、【b】が精一杯でしょう。 総合的に評価すると、仙堂麻尋は、実に良く気配りができており、これ以上を望むのは酷です。

にもかかわらず、仙堂麻尋に対して不服を言う人は【a】しかできていません。 【b】ができている人なら、あの描写が仙堂麻尋にとっての限界であることが分かるはずです。 それが分からないのは、【b】ができていないのであり、【a】しかできていないということです。 だから、仙堂麻尋に文句を言う前に、まず、自身の我が侭を直すべきでしょう。

真面目さ

仙堂麻尋の対人関係経験値が少なく、感情を上手に処理できないことは、本編からも読み取れます。 仙堂麻尋の一見して不真面目に見える態度等は、そうした感情処理能力から生じているのであって、性根が腐っているわけではない。

空回り

また、仙堂麻尋にとって、CUM研メンバー+αは初めてできた仲間であり、過剰なアピールに走ったり、舞い上がったりするのも仕方がない。 仲間に見捨てられたくないと思えば、自分が役に立つことをアピールしたいと思うのも当然でしょう。 その行動に節度を持てないのは、対人関係経験値の少なさのせいです。 そして、初めてできた仲間との一時に舞い上がり過ぎるのも、対人関係経験値の少なさのせいです。

このような仙堂麻尋の態度に対して寛容になれないのが当然の感情であるなら、そう思う人は、仙堂麻尋に対して全く気を許していないということです。 もし、それが、CUM研メンバーの当然の感情であるとするなら、自らの存在感をアピールし、一刻も早く仲間として認めさせたいと、仙堂麻尋が焦りを感じるのは当然のはずです。 つまり、仙堂麻尋に腹を立てることと、空回りの必要性を否定する行為は、完全に矛盾しているのです。

CUM研メンバー

分かっているから、CUM研メンバーも彼女に対して寛容なのではないでしょうか?仙堂麻尋は、映画撮影の仕事を甘く見ている部分はあるけれど、それは人生経験のなさからくる無知であり、行動自体はは真面目に取り組んでいます。 経験不足から来る失敗や予見できない失敗はあるけれど、重過失もないし、同じミスを何度も繰り返したりはしていません。 だからこそ、日名あすかや観島香月が、仙堂麻尋のミスを茶化して楽しんでいるわけです。 仙堂麻尋が不真面目な態度を取っていたら、観島香月が笑って済ますはずがないのです。

Last modified:2010/04/30 01:47:50
Keyword(s):[メモリーズオフ]
References:[メモリーズオフ5encore(アンコール)レビュー]
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*1 だからこそ、メモリーズオフでは死が多用されるのだろう

*2 観島香月側から見れば必然

*3 家出の原因等