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論理的間違いの実例part4

某所で見た、裏付けのない素人の過信を検証します。

確率に対する無理解

以下のやり取りを見てください。

確かさ50%の仮説を二つ重ねると25%、三つで12.5%、四つで6.25%、五つで3.125%、六つで1.5625%
確かさ30%の仮説を二つ重ねると9%、三つで2.7%、四つで0.81%、五つで0.243%、六つで0.0729%
確かさが5割あっても重ねると簡単に珍説に成り下がる
5割にも満たない仮説では見る影も無い
仮説に仮説を積み重ねると真実からはどんどん遠ざかる
せいぜい、最後の最後で一つか二つの仮説を出すに止めるのが関の山

仮説を定量的に考えている時点で嘲笑ものだし、*1
確かさ50%なんてないよ? 答えが真実に該当するか否かだから、100%か0%かのどちらかだろ。

どうも、この方は、確率を誤解しているようですね。というより、理数系はカラッキシだめなようです*2。数学的素養は0と言った方が正しいでしょう。

定性と定量

「100%か0%かのどちらか」と言うことは「仮説を定量的に考えている」わけであり、自ら「嘲笑もの」の発言をしていることになります。これでは、天に向かって唾を吐いているようなものです。定量的に論じることが困難であることは、量が無いことを示してはいません。量を正確に知ることが困難であるだけであって、見えない量は存在しているわけです。でなければ、「100%か0%かのどちらか」とさえ言えないはずです。

五分五分や十中八九と言った表現を使ったことがないでしょうか。定量的に論じられるなら、50%や80%などとハッキリ確率値が言えるはずです。ハッキリ言えないから、五分五分や十中八九と言うわけであり、定量的に論じることが困難な場合にこの表現を使うことは、言うまでもなく明らかです。そして、その表現は、見えない量が存在していることを前提にしていることも明らかです。でなければ、五分五分や十中八九と言った表現ではなく、全て、「100%か0%かのどちらか」と言うはずです。

以上のように、定量的に論じることが困難であっても、それは確率値を正確に知ることができないだけであって、確率値の不存在を意味しないことは明らかです。そして、確率値が存在するならば、正確に分からなくても、「不確実な仮説を積み重ねると真実からは遠ざか」るという傾向に間違いがないことは、言うまでもなく明らかです。何故なら、1未満の正数*3は掛ければ掛けるほど小さくなるのが明らかですから。

確定と判明

事実が確定していれば「100%か0%かのどちらか」になるのでしょうか。もし、そうなら、現代物理学が正しいと仮定すると、少なくとも、マクロの世界の現象は全て「100%か0%かのどちらか」にしかなりません。

例えば、○か×か二択の試験問題があるとします。これは、問題を作成した時点で正解が確定しています。さて、受験者が問題を見ても意味が全く理解できなかった場合、「○が正しい確率は50%」あるいは「×が正しい確率は50%」と言わないでしょうか。「答えが真実に該当するか否かだから、100%か0%かのどちらか」であるなら、50%という表現は間違ってることになります。もし、そうなら、この場合は、「○が正しい確率は100%か0%かのどちらか」あるいは「×が正しい確率は100%か0%かのどちらか」であると言わなければならないはずです。

このように、確定していて、かつ、判明していない物事の確率を論じることは多々あります。というより、量子力学を除けば、確定していないことの確率を論じる機会は全くありません。よって、確定していないことを理由に「100%か0%かのどちらか」とは言えないはずです。

確率

そもそも、確率とは概念上の存在であって実在する物ではありません。

たとえば、サイコロの目が出る確率と言いますが、サイコロの目は、初期位置、初期方向、初速度、回転モーメント、落下点の形状、弾性、その他のパラメータによって自動的に決まるため、厳密に計算すれば、確率の差し挟む余地は全くありません。事実、イカサマ師は好きなようにサイコロの目を出してみせます。

これは、この世でランダムと呼ばれている物全てに当てはまります。量子力学の世界を除けば、ラプラスの悪魔にとって全ての物事は確定事項であり、確率という概念を差し挟む余地はありません。逆の言い方をすれば、確定していないと言える現象は量子力学の世界以外には存在せず*4、現実的なマクロの世界には非確定現象がないと言えます。

しかし、人間は、決して、ラプラスの悪魔にはなれません。というのも、そうなるためには、パラメータや計算量が無限大になるからです。ということで、確定しているのに人間には判明していないことが多々あります。それでも、手間をかければある程度の予測は可能です。しかし、長い目でみた場合、個々の事象を可能な限り厳密に計算してみても、膨大な手間がかかる割に得られる利は知れています。そうした場合に、厳密な計算を放棄して、かつ、長い目で大外れのないようにするために、確率という概念を導入するわけです。その辺りの詳細はカオス理論を勉強すれば良く分るでしょう。

以上、まとめると、確率を導入するのは、確定しないからではなく、判明しないからです。

確実

次はもっと恥ずかしい間違いです。

なお、240のレスは100%>不確実>0%じゃなくて、100%>=不確実>=0%が正解。

確実であるということは、それを覆すような不確定要素がないということ。そして、不確定要素がない場合の確率は、常に、0%か100%にしかなり得ない。

  • 正しい確率=100%の場合、その仮説は確実に正しい
  • 正しい確率=0%の場合、その仮説は確実に間違い

不確実とは、確実ではない状態を指すのだから、0%と100%だけは確実に除外される。

「100%>=不確実>=0%」の誤解は、次の二つの認識から生じているようです。

  • 確率と真偽を取り違えている*5
  • 「100%か0%かのどちらか」の中間が存在する

どちらかと言っておいて中間が存在するとは、その自己矛盾が非常に痛いですね。それはさておき、確かに、真偽の度合いについては「100%>=不確実>=0%」で間違っていません。つまり、この方は、真である確率と真偽の度合いを取り違えています。ようするに、確率と真偽という全く別の概念の区別がついていないわけです。さらに困ったことに、真偽の度合いには真で偽もない中間*6が存在するのに、「100%か0%かのどちらか」と言い切っています。しかも、「100%>=不確実>=0%」という表現からは中間が存在すると気付いていることが明らかなのに、まだ、自分自身の間違いに気付いていません。自分の言ってることがその時々で180度違うことに気付かないから、間違ってることに気付かないわけです。

まとめ

以上のとおり、次のどちらの理由を持ってしても「100%か0%かのどちらか」とは言えません。

  • 定量的に論じるのが困難
  • 事実関係が既に確定している

ということは、数学的素養があれば、簡単に理解できることでしょう。苦手分野の物事に対して、自分は絶対に正しいと断言できるのは、相対性理論が間違ってると断言する素人と同じですね。「なぜ私のような素人でもわかる事が、専門の物理学者たちにはわからないのだろうか?」と同じですね。どうして、「自分が素人だから間違えたのではないか」と思い至らないのか、不思議でなりません。

Last modified:2010/05/01 20:44:57
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References:[Remember11考察 前置き]
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*1 中略

*2 文系が得意とも限らないが

*3 正の数であって整数ではない

*4 量子力学も確定していないとする証拠は足りてない

*5 つまり、真=100%、偽=0%と思っている

*6 一部分だけが正しい