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Remember11考察 犬伏景子

このページはRemember11考察の一部です。全体像はRemember11考察をご覧ください。

以下のことから、犬伏景子にはDIDでなかった疑いがあります。

  • 物語中、犬伏景子には一度もDID症状が出ていない
  • 時空間転移装置による人格交換は他人にはDIDと区別がつかない

何らかの理由で、犬伏景子がライプリヒ製薬の実験台となっていたなら、例の殺人事件は時空間転移装置の実験での人格交換によって引き起こされたということも考えられます。 時空間転移装置による人格交換がDIDと区別がつかないような描写がなされているのは、それを示唆しているのではないかとも考えられます。 「催眠導入中にもDIDの症状が出た」という調査結果も、まとめたのがライプリヒ製薬なら、その調査結果がねつ造である疑いがあります。 時空間転移装置を使えば簡単に偽装できますね。

ようするに、外部から隔離された場所二カ所以上と転移装置さえあれば、DIDを偽装出来るってことです。 たとえば、外部の医者を招聘してDIDかどうかの検査を行なうとしても、その部外者に転移が起きたことが気づかれないようにしておけば、その人にはDID症状にしか見えません。 催眠導入中だろうが何だろうが、転移を発生させれば強制的に人格を交換出来るのだから、DIDと診断されるのは当然でしょう。 また、転移の相手先を毎回変えれば、次々に複数人の人格と交換することも技術的には可能です。

character_exchange.png

異常に見える言動

犬伏景子の言動が普通ではないと思うなら、それは間違いです。 言動を見る限り、彼女は、非常に理知的であるように思えます。 一見すると変に見える彼女の行動は全て計算づくであるとも考えられます。 犬伏景子の性格描写は、一見すると残忍なように思えるけれど、良く考えると残忍だと断定する証拠は全くありません。 残忍そうな描写が複数あるけれど、いずれも理知的な現実主義&合理主義者と考えれば説明がつくため、残忍さを裏付けているとは言えません。 もし、犬伏景子の残忍さを表すつもりなら、もっと確実な伏線を張りそうなものです。 伏線と考えると不自然な描写が多々ある点は、ミスディレクションと考える方が自然でしょう。

人格交換に気付いている

犬伏景子は、自分の身に人格交換現象が生じていること、そして、それが優希堂悟に起きている人格交換現象と連動していることを早くから気づいているフシがあります。 優希堂悟(主人公)がこころの人格と対面した事があるか尋ねたことが重大なヒントになったはずで、一人交換日記を読んだうえで「私も同じ境遇に巻き込まれてるかも知れない」と言ったときには気づいている様子。

記憶の空白期間

犬伏景子は、MAO阻害剤とDMTを持ち出したときにも「意識を失った」こと等、記憶の空白期間がある事を自覚していると言っています。

氏名詐称

犬伏景子が人格交換現象に気づいているなら、涼蔭穂鳥が自分とは別人だと十分に認識しているはずで、周りに不信感を与えないように意図的に涼蔭穂鳥と名乗っている*1のだと思われます。 単なる思い込みなら、涼蔭穂鳥の名字や漢字を言えるはずがありません。 何らかの方法*2で名前を確認しているはずです。

傷の手当

優希堂悟(主人公)の左手の手当てしたのは涼蔭穂鳥人格の方だけど、優希堂悟(主人公)の礼に「大したことはしてない」と言うところなどは、うまく話を合わせているのだろうと思わます。

状況判断能力

犬伏景子は優希堂悟に惚れているようです。 だからこそ、楠田ゆにが優希堂悟(主人公)に対して脅えているときは、楠田ゆにをかばうため優希堂悟(主人公)に冷たい態度を取っています。 本気で優希堂悟(主人公)と敵対する気なら、楠田ゆにのいない所でも優希堂悟(主人公)に冷たくするでしょう。 しかし、楠田ゆにがいない所では、犬伏景子は、優希堂悟(主人公)に対して普通に接しています。 よって、これは、優希堂悟(主人公)の立場をこれ以上悪くしないようにするための配慮であろうと考えられます。 この辺りの状況判断能力も優れています。

ナイフで傷つけるのと傷つけられるのどちらが好き

ナイフで傷つけるのと傷つけられるのどちらが好きかという質問も、パニック状態になりかねない優希堂悟(主人公)を落ち着かせるために意図的に発したと考えられます。 あの時点で優希堂悟(主人公)が考えたことは、何でしょうか。

  1. 目の前で人が死に、自分は血まみれで凶器を持っている
  2. だが、自分には全く身に覚えが無い
  3. もしかすると、別の人格が殺したのかも知れない
  4. しかし、他人は人格交換現象のことを知らないから、自分が犯人だと疑われる

犬伏景子はその場に居合わせました。 そして、人格交換現象のことも知っており、自分が優希堂悟(主人公)の殺人行為を目撃していないことから、優希堂悟(主人公)の人格による犯行ではないと理解できるはずです。 さらに、優希堂悟(主人公)が自分に疑いがかかると思っていることも分かっています。 この状況で下手なことを言えば、間違いなく優希堂悟(主人公)は錯乱するでしょう。 それは、ココロ編の涼蔭穂鳥の錯乱ぶりを見れば分かります*3。 そこで、犬伏景子は一計を案じたのです。 自分が殺人を咎めるような人間ではない、むしろ、もっと危ない人だと思わせれば、優希堂悟(主人公)は錯乱する動機を失います(殺人鬼相手に「殺してない」と言い逃れする必要は全くない)。 そして、その狙い通りに優希堂悟(主人公)は冷静さを取り戻しています。 ナイフを強奪するのはかなり危険を伴いますが、犬伏景子は優希堂悟に惚れているようなので、それくらいのリスクは覚悟しているのでしょう。 一方で、優希堂悟(主人公)は、犬伏景子が人格交換現象に気づいていることを知りません。 だから、犬伏景子の言動を見て、理解し難い危ない人だと思うのも当然でしょう。

もちろん、この推測が正しいという保証はありません。 しかし、このように考えることも可能だということは、この言動が犬伏景子の精神が病んでいる根拠とはならないことを示しています。

ネズミ撲殺

以下、サトル編の描写。

穂鳥「たかがネズミ1匹殺したぐらいで何なのよ、バカみたい」


穂鳥「っていうかさぁ、悟はゴキブリとか殺さないの?」


穂鳥「じゃあ、牛とか豚とか鶏とかは?」
穂鳥「魚とか植物とか微生物とかは?殺さない?」
穂鳥「殺してないって言える?」


穂鳥「そもそもねぇ、私はネズミに感謝されることはあっても、怨まれるようなことをした覚えはないの」
穂鳥「かわいそうだなんて思うはずがないでしょう?」
穂鳥「ただ『よかったわね?』って、そう思うだけで・・・」
悟「どういう意味だ・・・?」
穂鳥「どういう意味も何もないってば」
穂鳥「私はあのネズミを楽にしてあげただけなんだよぉ」
穂鳥「キッチンの床で苦しんでたから・・・」
穂鳥「それで、息の根を止めてあげたってわけ」
穂鳥「まあ、痛みや苦しみを取り除くという意味に於いては医者と同じね?」
穂鳥「私のしたことは、ひと助けならぬ、ネズミ助けなわけであり〜」


彼女が自然な素振りを見せていたのは、ただ単純に、何の感情も抱いていなかったのだ。
罪悪感や後ろめたい想いなど、これっぽっちも抱いていなかったから・・・。
だから、彼女はこんなにもケロリとしていられる。
彼女にとっては、ネズミ1匹殺すことなんて、たいしたことではないのだろう。
日常のありふれた行為の内のひとつ、その程度にしか認識していないのだ。

女の娘では珍しい考え方かも知れないが、犬伏景子の言い分は凄く真っ当で共感できる。 たしかに、人間相手に同じことをやったらまずい。 しかし、相手はネズミである。今回の場合は、閉鎖空間で獣医もおらず、治療の見込みは全くない。 本人の意思を確認しようにも、問いかけようにも言葉が通じない。 仮に言葉が通じたとしても、難しい思考が可能かどうかも分からない。 この場合は、即死させることがネズミにとって最も良い選択だと推測できる。 ネズミに基本的人権がないことも考慮すれば、この場合には、越権行為や予見可能性その他の落ち度はない。 落ち度のないベストの選択に基づいた行動に何の問題があろうか。 もちろん、理性では即死がベストと思っても、「罪悪感や後ろめたい想い」が消えるわけではない。 しかし、誰もが、そうした想いを隠さずに表に出すわけではない。 甘えが嫌いだと思っている人は、そうした想いを隠して黙々と決断通りの行動を実行する。 いや、そういう想いに負けないようにするために、逆に、強くあろうと意地を張るのである。

むしろ、優希堂悟(主人公)の考え方の方にこそ強い違和感を感じる*4。 あの時、活かしたままネズミの苦しみを取り除くことができるなら、そうすればいい。 しかし、優希堂悟(主人公)には、それができなかった。 いや、無駄に苦しみを長引かせたうえに、やっぱり最後には死なせるのがオチだろう。 全く役に立たない感傷に浸って、その結果は、同情してあげたという自己満足と引き替えに他者を不幸にしているだけである。 無益な殺生は論外だが、誰かを救うためには時には非情な決断も必要になる。 泥を被る覚悟で必要な決断が出来ないくせに、他人の決断を非難するのは、世間を舐めた甘チャンに過ぎない。 助かる見込みのない戦友を苦しみから解き放つために銃で撃ち殺す戦争映画など観たら、きっと卒倒するのだろう。 ネズミでさえ残酷だというのだから。

悟「そもそもあのネズミを瀕死の状態に追い込んだのは、おまえなんだろ?」/「生き物を殺して、楽しいか」
穂鳥「・・・えっ」
悟「とぼけんなよ」/(該当台詞無し)
悟「倉庫の隅で見つけたんだ、液体のかけられたチーズを・・・」/「見たんだよ、倉庫の隅で、液体のかけられたチーズを・・・」
悟「ネズミの齧った後*5がしっかりと残ってた」
悟「液体の成分はまだわからないが、おそらく何かの毒物だろう」
悟「それをおまえは、ネズミに与えてたんだ」
穂鳥「ちょ、ちょっと待ってよ・・・」
穂鳥「私には、なんのことか、さっぱり・・・」
悟「嘘つくなって」/「とぼけんなって」
悟「おまえ以外にあんな酷いことをするヤツはいないんだよ」
穂鳥「違う、私じゃない・・・」
悟「じゃあ誰だっていうんだ?」
穂鳥「知らないよぉ、そんなこと・・・*6
ほとりの表情はかたくこわばっていた。
蒼白な頬には微かな痙攣が見られる。
彼女は恐怖を感じているようだった。
それでもオレは追及の手をゆるめない。
さらに激しく問い詰めた。
悟(該当台詞無し)/「もう一度訊く」
悟「おまえの中には殺人衝動がある、そうだろう?」/「生き物を殺して楽しいか?」
悟「その欲求を満たすためには、人の代わりになる何かを殺す必要があった」/「何かが苦しむ姿を見るのが、そんなにおもしろいのか?」
悟「だからあのネズミを・・・」/「そうじゃなければ、ネズミにあんなものを与えたりなんてしないもんな」
穂鳥「違う、違う、違う・・・」
悟(該当台詞無し)/「違う?」
悟「毒を盛ったのは、なんのためなんだ?」/悟「だったら、毒を盛ったのは、なんのためだと?」
悟「単にネズミを動けなくするため・・・?」
悟「それとも、本当は毒によって殺すつもりだったのが、予想に反して生き延びてしまっただけなのか・・・?」
穂鳥「なんでそんなこと言うの・・・?」
穂鳥「私じゃないのに・・・私じゃないのに・・・」
悟「あるいは、苦しませることに自体に意味があったのか?」/「いや、違うよな?」
悟「いったんネズミを瀕死の状態に追い込んでおいて、それを殺す」/「やはりおまえは娯楽の一環として、それを行ったんだ」
悟「そうすることによって、『私は苦しみから解放してやっただけなのだ』と、自分に言い聞かせることができるから・・・」/(該当台詞無し)
悟「つまり、おまえは殺傷行為に正当性を持たせたかったんだ・・・」/「ネズミの命をもてあそぶのが、楽しくて楽しくて仕方ないんだ」
穂鳥「うぅぅ・・・うぅぅ・・・うぅぅ・・・」
穂鳥「もうやめて・・・やめて・・・」
穂鳥「聞きたくない聞きたくない聞きたくない・・・」

優希堂悟(主人公)の言うとおり、犬伏景子が「罪悪感や後ろめたい想いなど、これっぽっちも抱いていなかった」なら、この態度はおかしい。 仮に、毒入りチーズを仕掛けたことに身に憶えがなかったとしても、事実だけを否定して、ネズミ撲殺を非難されたときのように飄々としているはずだ。 「私には、なんのことか、さっぱり・・・」までは、ただ、事実を否定しているだけである。 しかし、「違う、私じゃない・・・」以降は明らかな動揺が見られる。 このことからは、健康なネズミに毒を盛ることは「罪悪感や後ろめたい想い」を持って当然の行為だと、犬伏景子が認識していることが誰の目にも明らかだろう。 にもかかわらず、どうして、優希堂悟(主人公)は「日常のありふれた行為の内のひとつ、その程度にしか認識していない」と誤認したのか。

ある種のトリックを仕掛けるときに、不自然なまでに主人公がトリックから目を背けることを志村現象と呼ぶ人がいる。 今回の優希堂悟(主人公)の認識には、それと同様の違和感を感じる人が多いだろう。 今回の件については、余程の世間知らずでなければ、ネズミ殺傷の理由が残虐な性格と無関係である可能性に思い至るだろう。 しかし、何故か、優希堂悟(主人公)はその可能性を少しも検討しようとしない。 極めて不自然なくらいに、可能性から目を背けている*7のである。 プレイヤーが「志村(優希堂だが)〜、後ろ〜っ!後ろ〜っ!」と言いたくなるのも当然だろう。

このような表現をされると、読者は激しく混乱する。 というのも、作者が優希堂悟(主人公)と同様の誤解をしているのか、それとも、優希堂悟(主人公)が誤解をしている描写を意図的に入れたのか、この描写を見ただけでは判断できないからである。 フィクションでは、常識ではあり得ない誤解を作者がしているケースが多々あり、その場合は、「それがこの物語の設定なんだ」と受け入れなければ、作品を楽しむことができなくなる。 今回の描写もそれと同じことが言える。 読者は、とりあえず、設定と受け入れて次に進ませるしかない。 このようなことは、フィクションではありふれたことであるため、時間が経つと読者の記憶も薄れてしまう 。その結果として、物語が終わった頃には、犬伏景子の残虐性には強い違和感が残るが、設定の判断材料は忘却の彼方となっている。 よって、リプレイして徹底的に各種描写を検証しない限り、この物語の設定として、犬伏景子が残忍な殺人犯となっているかどうか判断がつかない。

エンディング

エンディングの岸壁で鬼のような形相の犬伏景子はどうなったのでしょうか。 あれは、水平線近くの明るさとレンズフレアから見て、犬伏景子の向こう側に夕日(エピローグの描写は12時前から始まってるが、途中、日が傾きかけている旨の描写があり、最後の方は空が黄色くなっている)がある逆光状態であると推測されます。 また、長いドリーイン(カメラワークの一種)をしていることから、犬伏景子が冬川こころからかなり離れた場所にいることもわかります。 普通、逆光では人の表情は読み取りにくいはずです。 しかも、遠方からとなると表情を読み取ることはかなり難しいと思われます。 ということは、あれは、冬川こころの思い込み*8が見せた幻である疑いがあります。 何故なら、冬川こころは、次のように認識しているからです。

  • 犬伏景子の肉体には涼蔭穂鳥が宿っているとする優希堂悟(主人公)の推測に違和感を持っている
  • 第三の人格の存在を知らないため、榎本尚哉を殺したのは犬伏景子だと思っている
  • 犬伏景子の人格を一度も見ておらず、犬伏景子=殺人鬼だと先入観を持っている

さらに言えば、その後の犬伏景子が赤ん坊にひどいことをしたという描写もありません

単なる思い込みでは、エンディングに残した謎としては極めて荒唐無稽な描写に見えます。 しかし、噂によれば、この後、セルフ編なるものがあったらしく(データファイル中のテキストにも「セルフ編」という記述が複数確認されている)、そこで全てが解明されるなら、このような描写があってもおかしくはありません。 結局、セルフ編なるものにはお目にかかれないわけですが、本編の描写を検証すれば十分に推測可能と考えるなら、そのまま残されたとしても不思議は無いでしょう。

また、この描写はミスディレクションを修正するという目的もあるのでしょう。 プレイヤーはココロ編に登場する方が涼蔭穂鳥の人格であることに気付いているはずです。 一方で、優希堂悟(主人公)は、自分が常に見ている方が涼蔭穂鳥の人格だと勘違いしています。 そうした優希堂悟(主人公)の勘違いに惑わされそうになった人も居るでしょう。 だから、最後に正解を印象づけておかないと、勘違いしたままになるかも知れません。 そのためにだけに、この描写を利用したのかもしれませんね。

技術的可能性

しかし、TIPSには榎本尚哉と優希堂悟が時空間転移装置を生み出したと書かかれています。 ということは、この二人が入社する前には、装置による人格交換は不可能なのでしょうか。 さて、ここで質問です。

  • モーターの発明者でなければ電車の発明者を名乗れないでしょうか。
  • 鉄道の発明者でなければ電車の発明者を名乗れないでしょうか。

どちらもそんなことはないはずです。 全てが新技術である必要はないはずで、既存の技術に新しい技術を付加した複合技術であっても発明は発明です。 とすると、TIPSの「生み出した」という表現にも同様のことが言えるはずです。 二人が生み出したとする時空間転移装置は、全てが新技術なのか、既存の技術に新たな技術を足したのかは、この記述からは分かりません。 そして、どの部分が新技術で、どの部分が既存の技術なのか分かりません。 そして、時空間転移装置の主な機能は次の3つです。

  • Y軸曲げ
  • 空間転移
  • 意識残留

このうち、空間転移と意識残留が出来れば人格交換を起こすことは可能です。 そして、それらが既存の技術であったとしてもTIPSの記述とは何ら矛盾しません。 また、二人の入社時期が明らかでなければ、殺人事件当時に未入社とは断定できません。 よって、TIPSの記述からは、当時、装置による人格交換が不可能だったとは言えません。

それでは、何の根拠にもならないじゃないかと言う人もいるでしょう。 そうです。 技術的検証は、全く根拠にはなりません。 初めから、技術的検証を根拠にしていないのだから、それで良いのです。 あくまで、ここでは、技術的問題と矛盾しないことを示しているだけに過ぎません。 と言うのも、犬伏景子がDIDでなかったと疑うのは、単に技術的に矛盾しないからではないからです。 その根拠は、そう示唆する作者の意図が明確に読み取れるからです。

ミスディレクション

犬伏景子がDIDだとプレイヤーに思わせるための描写は、どれもこれもDIDの決め手とはならない物ばかりです。 もし、本当に犬伏景子がDIDだったとしたら、これだけ描写を多数用意しながら、どうして、DIDの決定的証拠となる描写をひとつも用意しなかったのでしょうか。 これは極めて不自然です。 本当にDID症状が生じているなら、間接的描写を多数用意せずとも、そのものズバリDIDの直接的描写を1つ用意すれば事足ります。 本当にDIDであったなら、楽な表現方法を回避して面倒な表現方法を採る理由は全くありません。 それなのに、敢えて面倒な表現方法を採るのは、直接的な表現を入れたくなかったからと考えられます。 つまり、これは、DID症状を一度も見せず*9して、DIDであると印象づけようとしていると読み取れます。

そこまで不自然な描写をしてまで、強くDIDと印象づけなければならない理由とは何でしょうか。 単に、人格交換現象を隠すためだけのミスディレクションなら、プロローグの資料やココロ編とサトル編の人格差で十分だったはずです。 何故なら、そのためのミスディレクションであれば、人格交換の原因が明らかになった時点でミスディレクションの必要がなくなるからです。 その時点では、ココロ編とサトル編での犬伏景子の人格差が、主人公と同じ原因で生じていると気づいても構わないはずです。 人格交換の原因を隠すためだけなら、全くの蛇足かつ強引すぎる描写です。 よって、それ以外の別の意図があったと考えるのが自然でしょう。それには、次のような可能性が考えられます。

  • 本当はDIDではなかったので、DIDそのものの描写は入れようがなかった
  • プレイヤーが非DIDの可能性に気づくように仕向けた

前者であるならば、劇中の人格交換だけでなく、殺人事件当時の人格交換までもDIDだと思わせようとするミスディレクションだと考えられます。 後者であるならば、二重のミスディレクションを仕掛けたことになります。 もちろん、初段のミスディレクションは「DIDに見えるが、実は、DIDではないかも知れない」です。 後段のミスディレクションには、次のような可能性が考えられます。

  • 非DIDの可能性もあるようだが、真相はやはりDID
  • DID云々等とは全く違う何か

後者の場合は、犬伏景子がDIDではないことになるので、これ以上、細かく追求する必要がありません。 問題は、前者の方です。もし、このような二重ミスディレクションを仕掛けるなら、初段のミスディレクションは、プレイヤーには巧みに隠されていると思わせつつも、勘の良い人なら誰でも気づくように仕向けなければなりません。 しかし、この場合は、初段のミスディレクションが難しすぎます。 その証拠に、ネットでも犬伏景子がDIDではなかったと疑う意見は殆ど見かけません。 描写を検証してみると、意図的に強固なミスディレクションにしていることが分かります。

  • プロローグの資料で犬伏景子がDIDだと先入観を受け付けられた
  • ココロ編とサトル編での犬伏景子の人格差がDIDに見える
  • 数々の描写が犬伏景子の精神疾患を彷彿させる
    • ココロ編3日目の錯乱
    • サトル編3日目の錯乱
    • 犬伏景子の言動の一貫性の無さ
    • 表情ひとつ変えずにネズミを撲殺

ココロ編とサトル編の人格差がDIDのせいではないと分かった後も、それによって生じた犬伏景子の印象までは消えません。 ある認識によって強い印象が生じると、その認識が間違いだったと判明した後も、それによって生じた印象だけは強く残ってしまうものです。 そして、同様の印象を与える別の認識が残されたままだと、それが残された印象を後押しするため、印象をリセットすることができません。 その結果、残された認識から生じる印象が極めて弱い物であっても、間違いから生じた印象に強く支配されてしまうことがあります。 先入観を排除しようと意識して再検証しない限り、間違った印象の罠からは抜け出せません。 Remember11の場合、DIDの印象が強く残っていて、かつ、いくつかの描写が最後までその印象を後押しするため、思い込みから抜け出すことが困難です。 これでは、「実はDIDではなかった」と疑えと言う方が無理でしょう。

この場合、初段のミスディレクションに引っ掛かった人も、結果的には、後段のミスディレクションを見破った人と同じ答えになります。 そして、先に述べたとおり、初段のミスディレクションが難しすぎるため、殆どの人は、後段のミスディレクションを見破った場合と同じ答えに辿り着くことになります。 これでは、二重ミスディレクションの意味がありません。

それでも、初段のミスディレクションは、描写の不自然さに気づけば、見破ることは不可能ではありません。 しかし、後段のミスディレクションに至っては、見破るための判断材料が乏しすぎます。 先にも述べたとおり、TIPSの記述は不十分です。何故なら、TIPSの記述は、装置による人格交換が不可能だったとまで断定出来る情報ではないからです。 それでは、初段のミスディレクションのための記述と区別がつかず、後段のミスディレクションの存在を見破るヒントには全くなっていません。

二重のミスディレクションは、初段のミスディレクションに気づいた人が、初段のミスディレクションを解除したものこそが真相である・・・とする思い込みを逆用したものです。 それ故に、後段のミスディレクションを見破るためには、初段のミスディレクションが罠であると考えるだけの強い根拠が必要になります。 言うまでなく、ヒントのないミスディレクションは反則技です。 さりげなくヒントを出しておいて、かつ、それに気づかせないように上手にカムフラージュするのが高度なミスディレクションです。 ヒントが全くないのでは、それはではありません。 それは単なる秘密です。ヒントがあるから謎解きを楽しめるのです。 ヒントがないのでは、作者による種明かし=妄想談話を一方的に延々と聞かされるだけで、それは決して楽しいものではありません。

数々のヒントを見る限り、作者はその基本は当然踏まえていると考えられます。 よって、このような、無理のある二重のミスディレクションは、到底、あり得ないでしょう。まとめると、

  • 人格交換の原因を隠すためにしては、度を超して執拗に犬伏景子がDIDと印象づけようしている
  • 二重ミスディレクションだと仮定すると、ミスディレクションの意味がなくなってしまう
    • 初段のミスディレクションが難しすぎる
    • 初段のミスディレクションに引っ掛かっても正解に達してしまう
    • 後段のミスディレクションに至っては全く見破りようがない

以上のことから、ミスディレクションを施した作者の意図と、二重ミスディレクションではない意図が明確に読み取れるため、犬伏景子がDIDではなかったと作者が示唆したと読むのが自然な解釈でしょう。

*1 しかし、それが却って内海カーリーの不信感を増長させているとは知らない

*2 免許証を見たか、一人交換日記をしたか、優希堂悟(主人公)の部屋のゴミ箱を漁ったか

*3 そこまで計算してあのシーンを入れたと考えると、すごい伏線だ

*4 初めてこのシーンを見たときは、優希堂悟(主人公)の馬鹿さ加減に呆れた。

*5 「跡」の誤字と思われる

*6 立ち絵も不安そうな表情に変化

*7 こうしたトリックを隠蔽するための志村現象が所々にあるから、真の主人公=プレイヤー説にも懐疑的にならざるを得ない

*8 犬伏景子は残忍な性格と思っている

*9 少なくとも、作中のスフィア側(2012年1月の時点)では明確なDID症状はない