論理的間違いの実例part5
相対性理論
今回は、トンデモさんが安易に特殊相対性理論を批判するサイトを紹介します。 以前は、もっと単純なサイトで、ガリレイ変換とニュートン力学だけを想定した「思考実験」で、特殊相対性理論なしでも辻褄が合うことを理由に、特殊相対性理論を否定していました。 今は、内容が修正されていますが、【マクスウェルの方程式から特殊相対性理論が生み出された歴史的事実】をねじ曲げているのは相変わらずです。
等速直線運動は静止なのだから、静止系から光を発射しても、等速直線運動系から光を発射しても、同じ速度になるはずだとしたのがアインシュタイン の特殊相対性理論です。しかし、マクスウェルの電磁気学をガリレイの相対性原理に当てはめれば電磁波の速度は変わってしまう。それなら、どんなことがあっても電磁波の速度が変わらないようにすればいい。
順番が完全にデタラメです。 引用部によると、特殊相対性理論はマクスウェルの方程式と無関係に生み出されて、 マクスウェルの方程式に合うように内容を修正したように書かれています。 しかし、歴史的事実によれば、「マクスウェルの電磁気学をガリレイの相対性原理に当て」はまらないことが問題視されていたため(琉球大学准教授の前野昌弘氏の解説参照)、 その辻褄を合わせるためにエーテル理論が生み出され、そのエーテル理論がマイケルソン・モーリーの実験で間違いと分かり、 その辻褄を合わせようとテンヤワンヤになっている所で特殊相対性理論が発表されています。 どうも、この方は、マイケルソン・モーリーの実験がエーテルの風速を計ろうとしたことも理解してないようですね。 だとすると、この方の脳内では、マイケルソン・モーリーの実験は、一体、何を計ろうとした実験なのでしょうか。
空気中等では宇宙線やニュートリノ等の方が早い場合があり、そんなときに出現するのがチェレンコフ光である。 空気中などでは宇宙線やニュートリノ等の方が光よりも早いわけであり、 誰から見ても光の速さは変わらず光よりも速いものは存在しないという光速不変の原理は通用しない。
「空気中等では宇宙線やニュートリノ等の方が早い場合があり」は全く正しい。 しかし、引用部には根本的な勘違いがあります。 特殊相対性理論で限界速度となるのは真空での光速であって、空気中の光速ではありません。 真空以外での光速は、真空以外での光速より遅くなります。 よって、空気中等での光速を超えることが出来ても、実は、真空中での光速に達するわけではありません。 つまり、この引用部の記述は、相対性理論の真偽とは全く関係がありません。
何故そのことに当時の物理学者は気が付かなかったのか、これも本当におかしな話である。恐らく当時は空気中も真空中も光は同じ速度で走ると考えられていたのであろう。
マクスウェルの方程式では、媒質によって光速は変わります。 光速の式に媒質によって左右する係数(誘電率・透磁率)がバッチリ現れるのだから、それは、誰が見ても明らかです。 よって、「当時の物理学者」達が「同じ速度で走ると考えられていたのであろう」という憶測は歴史的事実と完全に食い違っています。
特殊相対性理論は、一見するとトンデモなことを言ってるように見えます。 何しろ、時間や距離の概念を根本から変えようと言うのだから。 理由を知らない素人は、きっと、こう思うでしょう。 「確かに特殊相対性理論で言ってることの辻褄は合ってるかも知れないが、何もそんな無理な考えを導入しなくても、もっと素直な考えで良いのではないか」と。
しかし、アインシュタインは、何も理由がないのに、素直な考えを否定し複雑怪奇な考えを持ち出したわけではありません。 光速不変の原理は、そう考えなければ辻褄の合わない問題=マクスウェルの方程式があるから持ち出した仮定です。 逆に言えば、マクスウェルの方程式がなければ、光速不変の原理は全く必要がありません。 つまり、アインシュタインは、マクスウェルの方程式によって生じる矛盾を解消するために、止むなく、複雑怪奇な発想を持ち出したのです。 言い替えると、マクスウェルの方程式が存在しなければ、特殊相対性理論も生まれて来なかったのです。
つまり、トンデモさんが安易に特殊相対性理論を批判するサイトの「思考実験」は、その前提となる仮定においては全く間違ってなかったのです。 言い替えると、ガリレイ変換とニュートン力学だけを想定する前提が根本的に間違っていたのです。 その「思考実験」の前提では、確かに、特殊相対性理論は全く無用の長物です。 しかし、現実の特殊相対性理論は、マクスウェルの方程式から生まれたのであって、決して、ガリレイ変換とニュートン力学だけから生まれたわけではありません。 だから、マクスウェルの方程式を想定しなければ、特殊相対性理論が無用の長物になるのは当り前です。 しかし、それは特殊相対性理論を否定する根拠に全くなっていません。
まとめると、アインシュタインは、合理的な理由もなく無理な考えを持ち出したわけではありません。 素直な考えを否定して複雑な考えを持ち出したのには、それなりの合理的理由があったわけです。 逆に言えば、合理的理由もなく、素直な考えを否定して複雑な考えを持ち出すのはトンデモだということです。 これは、考察においても同様で、素直を否定して複雑を肯定するなら、「マクスウェルの方程式」に相当するような合理的理由が必要と言えます。
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References:[考察の基本原則]