Remember11真相
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最低限の真相
グッドエンドを見て疑問を持った人向けに、ゲーム本体で直接描写されたこと、および、直接描写からほぼ確実に推定できる解答を以下に示す。
疑問 | 解答 |
---|---|
第三人格って誰? | 穂樽日の施設に居た内海カーリーの胎児。 |
スフィアの殺人鬼は誰? | 誤解と胎児の戯れの産物。 |
ネズミ殺害犯は誰? | 消去法で榎本尚哉。 |
黛鈴の最後の台詞の意味は? | 優希堂悟と榎本尚哉が装置を使って人格交換していた(バッドエンドの1つで分かる)ことを示唆。 |
グッドエンドで死亡記事はどうなる? | こころ編グッドエンド+さとる編グッドエンドより、全員が生還しても死亡記事は存在する。週刊誌、内海カーリーの記憶と整合するには、死体が捏造されたとしか考えられない。 |
涼蔭穂鳥は? | 朱倉岳で雪に埋まったまま。人間離れした強靭な生命力の持ち主(笑)。 |
最後の犬伏景子の人格は? | 本来の犬伏景子の人格。主人公悟が誤認したのはシナリオ展開の都合。 |
犬伏景子はDIDだった? | 装置を使った人格交換による偽装DIDの可能性あり。阿波墨事件はライプリヒ製薬のせい? |
あの後、犬伏景子はどうするの? | 不明、というか、可能性は2通り。冬川こころの予想どおりかもしれないし、冬川こころの思い過ごしかもしれない。 |
回想の少女は誰? | 優希堂悟の妹。既に死んでいる。以上、TIPS最終項目より。 |
記憶移植は? | 優希堂悟の誤推理を利用したミスディレクション。 |
転移装置の原理について | そういう設定を黙って受け入れるのがSFのお約束。 |
○○した理由(汎用) | 楠田ゆにによれば、衛星電話が偶然繋がった現象を再現するためには、そっくりそのまま歴史を繰り返す必要があった=楠田ゆにの体験をなぞっているだけ。尚、鶏卵問題は擬似問題に過ぎない。 |
ユウキドウ計画って? | 悪いことは言わない。黙って忘れろ!(作品中に答えはない) |
アイツやセルフって何? | 悪いことは言わない。黙って忘れろ!(作品中に答えはない) |
以上の解答で納得することをお勧めする。 以上の詳細はRemember11考察を参照のこと。 以上で納得できない場合は、更なる考察を進めても無駄だと忠告しておく。 Remember11は、考察を深追いすればするほど、解決できない新たな謎が発生して泥沼にはまる。 グッドエンド時点での謎だけなら明確な解答が示せるが、考察をある程度進めて生じた新たな謎の解答はない。 そのことは、監督自身が明確に認めている。 考察を深追いするなら、納得できるような解答が得られない覚悟をしておくべきだろう。
未完成?
Remember11の物語の背景部分の多くは本編に全く描かれていない。 そのことは、Remember11が未完成と揶揄される主原因となっている。 しかし、背景部分の描写が足りないことは、作品の完成度とは別問題である。 何故なら、物語の基幹部分の描写は十分に足りているからである。 Remember11では、物語の条件に反する後付け設定はなく、主要人物の思考や言動もしっかりと描写されている。 これら基幹部分については、物語中に十分な情報が埋め込まれており、丁寧に読み解けば何ら謎は残らない。 足りない部分は、SF設定の原理や超脇役の思惑等に関する部分であり、これらは物語に必須とまでは言えない付加的要素である。 もちろん、付加的要素とは言え、思わせぶりな描写を行なうなら、その答えを提示する責任はあろう。 しかし、付加的要素が未完成だからと言って、作品本体が未完成とはならない。
尚、「この作品は未完成ではない」と言いたいなら「描写が不足しているのは付加的要素であって物語の基幹部分ではない」と言えば事足りる。 未完成説に反論するのに「故意に謎を残した」のような荒唐無稽な妄想を持ち出す必要は全くないし、そうした妄想では未完成説に全く対抗できない。
作者談話の検証
故意説の不成立
故意に謎を残したとする人は、中澤氏の次のような言動を根拠としている。
先に発売されたPS2版も、あれで完成・完結した物語としてまとめた上で、僕らはリリースいたしました。
大変わかりにくい物語であり、当然の結果として賛否両論、お叱りからお褒めまで様々なご感想を頂ける作品となりました。
否定的なご意見を抱かせてしまった方には申し訳ない気持ちになりますが、僕らとしては当時の状況下で「可能な限り」ベストをつくした成果物でした。
この記述を拡大解釈し、謎が残っているRemember11を「完成・完結」と作者が言っているのだから、故意に謎を残したのだと言う。 そして、そう解釈する人は、故意に謎を残したのは、プレイヤーを無限ループに陥れる等の演出上の都合だと言う。 しかし、「完成・完結」が意味することは次のとおり複数の可能性があるため、この言動は何ら根拠とならない。
- 作品は当初の予定通りの仕上がりである
- 謎の答や手掛かりは十分に作品中に提示してある………【1】
- 読者に考えさせるために敢えて答えのない謎を残した………【2】
- 残った謎は全て些末なものだけである………【3-1】
- 作品は当初の予定通りの仕上がりに至らず、謎を残したままになっている
- 残った謎は全て些末なものだけである………【3-2】
- 制作側が用意したアイデア・思考は全て作品中に出し尽くした………【4】
- 大人の事情で本当のことは言えない………【5】
PSP限定版プレミアムブックには、次のように書かれている。
中澤:
−本作独特の難解さを見て、未完の作品だという厳しい評価も一部ではあるようですが?
中澤:それは言われてもしょうがないです。全ての情報を提示していないのはこちらですからね。
「全ての情報を提示していない」と言っていることから、本編には「“真相”に肉薄できる情報」が足りていないと認識しているようだ。 つまり、【1】は完全に否定される。 また、作品中で提示された情報が真相に辿り着くには不十分であっても、読者に考えさせるために十分な内容であるならば、【2】において「全ての情報を提示していない」ことにはならない。 よって、【2】もかなり疑わしい。
中澤:
あと、ユーザーさんのさまざまな解釈を見ていると、明確な答えを出すのが悪いような気がしてしまって・・・。 最初はやむを得ず隠していましたが、今では、隠さなければならないという気すらしています (誰が書いたか不明の脚注:それでは納得できない人も多いと思うのでPSP版では新機能の「年表」の中に“真相”に肉薄できる情報を書き込んだとのこと。 本インタビューと合わせて各人の結論への手掛かりにしてほしい。) なぜなら、この物語に一生懸命頭を捻ってくれたユーザーさんたちがいてくれたおかげで、想像以上に物語の広がりが生まれたからです。感謝ですね。
「全ての情報を提示していない」ことが意図的な結果であるならば、「故意に真相を隠した」「最初から隠さなければならないと確信していた」と言うだろう。 「最初はやむを得ず隠していました」「今では、隠さなければならないという気すらしています」としていることから、意図的な結果ではないことは明らかである。 故意性を否定する記述は、Infinity plus付属のPremium Bookの次の記述とも一致する。
−『Remember11』は前2作に比べてストーリーが難解で、考察する楽しみが色濃く出ているように感じました。
中澤 あまり意図したつもりはありません。 あくまでも結果的にそうなってしまった、という感じです。
意図的な結果であるならば、「意図してそうしました」と言うだろう。 「結果的にそうなってしまった」としていることからも、意図的な結果ではないことは明らかである。 つまり、本編から「“真相”に肉薄できる情報」がゴッソリ抜けているのは、演出目的ではなく、何らかの事情により入れたくても入れられなかったのだろう。 「隠さなければならない」と考えたのは、今になってからであるから、当時はそう思っていなかったのだろう。 だからこそ、「物語の広がりが生まれた」ことを「想像以上」と言っているのである。 また、演出上の都合で削除すべきものであるなら、今でも「“真相”に肉薄できる情報」を盛り込むことはできないはずである。 以上のことから、やはり、当時は、何らかの都合で「やむを得ず」隠さなければならなかったのだろう。 よって、【2】も完全に否定される。
不作為説
「やむを得ず」「全ての情報を提示していない」のならば、何故、中澤氏は「あれで完成・完結した物語としてまとめた」と言っているのだろうか。
まず、立場上、未完成と言えないからということが考えられる(【5】)。 プロとして、リリース済みの作品が未完成とは口が裂けても言えない。 自分の責任で全額返金に応じるなら、未完成だと言っても問題はないだろうが、実際に、責任を負うのは発売元である。 そうした立場上の問題があるから、たとえ未完成であっても「あれで完成・完結した物語としてまとめた」と言わざるを得ない。
また、物語を「完成・完結」するために必須の情報は作品中で提示していると認識していることも考えられる(【3】)。 「全ての情報を提示していない」が、物語を構成する基幹部分ではない枝葉の部分であるならば、そのことは物語としての「完成・完結」に影響を与えない。 もちろん、基幹部分ではなかったとしても、「全ての情報を提示していない」ことについて、作者の責任が否定されるわけではない。 興味を引くような思わせぶりな描写をしたのは作者であり、それに対して答えを提示しないのは無責任と言われても仕方ないだろう。 とはいえ、残された謎が基幹部分ではないなら、そのことは、物語としての「完成・完結」には影響を与えない。
続編などで補完する余地を否定したという見方も可能だ(【4】)。 制作側が用意したアイデア・思考は全て出し尽くしていて、残った謎を補完する余地が全くないのであれば、それを「完成・完結」と表現するのは語意として間違ってはいない(人としては間違ってるかもしれないが)。
以上のように、故意説を採用せずとも作者の言動に一貫性を持たせることは十分に可能である。
作者の意図より作品の出来
そもそも、作者の意図を論じることには意味がない。 何故なら、何を完成と呼び、何を完結と呼ぶかは言葉の定義の問題だからである。 作者が「完成・完結」と言うことは、作者にとっての「完成・完結」なのであって、必ずしも、読者にとっての「完成・完結」を意味しない。 そして、問うべきは、作者視点の「完成・完結」ではなく、読者視点の「完成・完結」である。
- 【1】ならば、本当に必要な情報が全て出ていなければ読者にとっての「完成・完結」ではない
- 【2】ならば、残された謎の答えを確定させるよりも流動的にした方が作品がより面白くなって(商業作家に求められる水準の答えよりも一般的読者の想像に任せる方が優れる場合に限る)いなければ読者にとっての「完成・完結」ではない
- 【3】ならば、重大な謎が残されていれば読者にとっての「完成・完結」ではない
- 【4】や【5】は読者にとっての「完成・完結」ではない
作者が「全ての情報を提示していない」と認めているので、【1】の意味での読者にとっての「完成・完結」は否定される。 Remember11の残された謎は、読者が独自の思考をするために重要な説明を欠いている。 だから、作品中の情報から容易に推測できる可能性を列挙するだけでは真相を論じることはできない。 読者なりの真相に到達するためには、作品中にない独自設定を読者自身が構築する必要がある。 そのため、二次創作を作る趣味のある人だけが真相を論じることが可能である。 作品を受け身で楽しむ一般的な読者にとっては真相を論じることができない。 真相を論じることができないのでは、作品がより面白くなったとは言えない。 そして、読者の作家的能力や努力に頼り切った作品を読者にとっての「完成・完結」と呼ぶなら、作家は必要ない。 だから、一般的な読者を基準に評価するのが妥当であり、【2】の意味での読者にとっての「完成・完結」も否定される。 よって、結論として、読者にとっての「完成・完結」と解釈するなら、【3】の意味以外にはあり得ない。
謎放置の原因
「やむを得ず」隠さなければならなかった原因として、制作の遅れが考えられる。 創作の世界では締め切りとの闘いは良く聞く。 例えば、作家の井上ひさし氏の舞台公演を中止に追い込むほどの超遅筆は有名である。 そのほか、某週刊漫画誌で某漫画家の某連載漫画が頻繁に下書きのまま掲載されていたのは、今や、生きる伝説であろう(正しくは、その前作からの傾向)。 これほど極端な事例は少ないにしろ、締め切りに追われて大変という話は珍しくない。
Remember11のシナリオ・ライターである打越氏は、12RIVENでも遅筆による発売延期をやらかしている。 しかも、3ヶ月以上も缶詰状態で作業していたにもかかわらずである。 外注のシナリオ・ライターを何ヶ月も缶詰状態にすることのは、業界では普通のことなのだろうか。 遅筆の前歴があるから、何ヶ月も缶詰状態にされたのではないのか。 そして、その前歴は、Remember11ではないのか。
Remember11では、当初、3編予定されていたシナリオが間に合わず、セルフ編(隠しテキストにその名がある)を削って、無理矢理、ココロ編とサトル編の2編でまとめ上げたのではないか。 例えば、優希堂沙也香は細かい設定(画像、氏名、血液型等)が用意されながら、冒頭の回想シーンだけにしか登場しないのは不自然である。 たった1度の回想シーンにしか登場しないなら、モブ・キャラも同然である。 しかし、モブ・キャラ同然なら、画像まで用意するだろうか。 本編で名前を呼ばれることが一度もないモブ・キャラの名前を用意する必要があるだろうか。 実は、セルフ編の回想シーンの中で何度も登場する予定だったのではないか。 だから、画像や名前を用意したのではないか。 シナリオが間に合わず、セルフ編を削らざるを得なくなったから、優希堂沙也香の登場シーンもゴッソリ削られたのではないか。 …というのは推測に過ぎないが、当初予定されていたシーンが削られている疑いが存在するのは確かな事実である。 そう考えると、次のようなやたら凝った仕様も、シナリオの遅れで手の空いた人達の労力が投入されたためではないかと思えてくる。
- TIPS
- 手間のかかる手描きアニメが多用されたムービー(本編と絵柄の違う外注アニメは業界でも珍しくないが、本編と同じ絵柄=本編スタッフが制作したアニメは珍しい)*1
- オマケボイス
- 隠しデータが多々埋め込まれている
- 「目や口のアニメーションはもちろん、寒い空間では白い息を吐き〜」等やたらシステム面での改良ありとパッケージでも強調
以前、打越氏がコメントしたとされる「しばしば激しい軋轢」は、実験的な作風についての監督とシナリオ・ライターの軋轢と解釈するのが定説とされてきた。 しかし、新興会社ならともかく中堅会社の作品において、そうした無謀な実験に他のスタッフの同意が得られたとは考え難く、シナリオ・ライターの反対を押し切ってまで監督が強行したと解釈するのはかなり無理がある。 一方、「しばしば激しい軋轢」を遅筆と発売延期に関する軋轢と解釈すると、そのような無理は生じない。 発売を延期してでも当初計画通りの作品に仕上げるべきとするシナリオ・ライターと、発売日に間に合うようにシナリオの削減および修正をすべきとする監督の軋轢と解釈すれば、極めて自然にコメントの意図を説明することが出来る。 関係各社への影響を考慮すれば安易な延期は出来ないし、延期しても当初計画通りの物ができる保証がないなら、発売日に間に合わせることを優先するのは当然の判断だろう。 残った作業が最後の詰めだけなら延期という判断もあり得るだろう。 しかし、完成の目処が立たないうちに延期すれば、2度3度とズルズル延期を繰り返して、いつまで経っても完成しないという事態になりかねない。 よって、監督としての立場に立てば、シナリオを大幅に削減することになっても、発売日に間に合わせることを優先するのは、妥当な判断と言える。 また、作家の立場として、シナリオの大幅削減は受け入れ難く、当初計画通りの作品を作りたいと思うのも、当然の感情と言える。 だから、そうした「しばしば激しい軋轢」が生じても、何ら不自然なことではない。
作品の検証
さて、「“真相”に肉薄できる情報」とはどのようなものだろうか。 “真相”の内容が、後から取って付けたような無理矢理な内容である可能性も否定できない。 そこで、ここでは、次のような判定基準に従って後付けかどうか判断したい。
- 本編の描写と致命的な矛盾が生じないこと
- 追加された事実が後から取って付けたような不自然な内容でないこと
- 本編で描かれなかった合理的理由が説明できること(聞かれなかったから答えなかった、もアリ。ただし、その場合は聞かない合理的理由が必要)
概ね問題はないようだが、中には、初歩的かつ致命的な矛盾が生じるものもある。 辻褄合わせが終わっているなら、このような初歩的な矛盾は生じないはずである。 これは、「“真相”に肉薄できる情報」が完全な形で用意されていないことを裏付ける重大な証拠となる。 初歩的な矛盾が解消できなかったため、影響の出る部分をゴッソリ削除せざるを得なかったのだろう。 やはり、Remember11が未完成と批判される原因は、開発の遅れにあったと考えるのが妥当なようだ。 辻褄合わせの間に合わないセルフ編を削除し、細部を調整して何とか作品としての体裁を整えたのではないだろうか。
楠田ゆに
PSP限定版プレミアムブックには、次のような本編との矛盾点がある。
中澤:
彼がこれだけ忙しくしているのは、悟が記憶を失ってしまったから。 そのせいで、ゆにが物語の進行役をしなくてはならなくなった。
−冒頭でこころの肉体に入った悟を糾弾しているのは、そういうわけなんですね。
中澤:悟が記憶を失うのは、テラバイトディスクに書かれている可能性のひとつでしかなかった。 だから怒っているんです。 何でよりによって忘れるパターンなんだ、おかげでこっちが苦労するじゃないかと。
これは、どう解釈しても本編と辻褄を合わせることができない。 11歳の楠田ゆには、スフィアで記憶喪失の優希堂悟(主人公)を散々見ている。 例えば、榎本尚哉殺害の犯人を冬川こころと決め付けるのは、記憶喪失だからである。 1年もの準備期間があって、そのことに気付かないとは考えられない。 だから、12歳の楠田ゆには記憶をなくした優希堂悟(主人公)を見て「やっぱりね」と思うはずで、「何でよりによって忘れるパターンなんだ」と怒るのはおかしい。
楠田ゆには、サトル編エピローグで歴史を変えたくなかったと発言している。 そして、その理由を次のように述べている。
ゆに「ぼくらがかけた衛星電話はね?偶然−繋がっただけだったんだ」
ゆに「わかる?偶然って意味・・・」
ゆに「偶然起きた現象っていうのはさ、そっくりそのまま歴史を繰り返してやらなければ絶対に再現し得ないものなんだよね」
「忘れるパターン」でなければ「そっくりそのまま歴史を繰り返し」にはならず、「偶然起きた現象」が「再現し得な」くなってしまう。 だから、「何でよりによって忘れるパターンなんだ」と怒るのは辻褄が合わない。 「偶然起きた現象」を再現したいのならば、「そっくりそのまま歴史を繰り返し」にする必要があるのだから、優希堂悟(主人公)の記憶喪失を前提として自分が物語の進行役になるように努めるはずである。 そして、その通りになったなら「忘れるパターン」で良かったと安心するはずある。 だから、「何でよりによって忘れるパターンなんだ」と怒るのは、明らかにおかしい。
では、何故、このような矛盾が生じるのか。 それは、次のような理由だろう。
- サトル編冒頭の楠田ゆにと優希堂悟(主人公)が対峙するセンセーショナルなシーンを入れたかった
- そのセンセーショナルなシーンを入れるためには、楠田ゆにが怒っている必要がある
- しかし、歴史を繰り返すべき認識を持っていると、楠田ゆにが怒る理由が成り立たない
楠田ゆにが怒っていないならば、「この人は忘れてるだけなんだ」と楠田ゆにが言い出す動機がない。 また、楠田ゆにが優希堂悟(主人公)に真実を隠していた理由が歴史を変えたくないためであるならば、余計なことは言えないはずである。 ただ、楠田ゆにが怒っているならば、本来の歴史でも「この人は忘れてるだけなんだ」と言った可能性があるので、それを言っても歴史を変える恐れは少ない。 しかし、楠田ゆにが怒っていなければ、歴史を変える恐れがあるから、「この人は忘れてるだけなんだ」とは言えなくなる。 そうなると、このセンセーショナルなシーンはそっくりそのまま別のシーンに差し替えなければならない。 演出の都合を考えて、このセンセーショナルなシーンを残そうとしたのではないか。 そのために、楠田ゆにを怒らせる必要があったのだろう。 しかし、楠田ゆにを怒らせる理由の辻褄合わせは出来なかった。 それが真相ではないのか。
犬伏景子
PSP限定版プレミアムブックには、次のように書かれている。
−話題に出たので、犬伏についても。サトル編における彼女は一貫性のない性格のように思えますが、あれはやはりDIDのせいでしょうか?
中澤:実は一貫して犬伏の人格です。あれは人格が入れ替わっているというより、境界例を併発しているからです。確かに彼女はコロコロとテンションや言っていることが変わりますが、すべて一貫した記憶を持つ一人格です。とはいえ、人格が入れ替わることもあるからこそ、穂鳥の登場にも驚かないのも事実です。彼女は「また新しい人格が増えたのか」くらいにしか思ってないですよ。
年表との整合性
「人格が入れ替わることもある」は、年表の次の記述と辻褄が合わない。
悟 長年の調査の末、
人間の精神や意思に他律的な影響を与える
『超越的な意思(あるいは知性体)』の存在を知る。
それは学説と呼ぶには憚られるような
オカルトまがいの概念だったが、悟はこれこそが、
沙也香を『殺』した真犯人ではないかと考える。
阿波墨の事件を契機に、悟は自分の考えに
確信を抱くようになる。
犬伏の残した言葉を拝借し、
『超越的な意思(あるいは知性体)』を
『セルフ』と命名。
それは、真に実在した存在だったのか?
それが存在することの妥当性と、
存在して欲しいと願う強い願望が見せた
幻だったのか?
やがて悟は、ある計画を立案・遂行することを志す。
『セルフ』をこの世界に誘い込む計画、
−−『ユウキドウ計画』を。
悟 テラバイトディスクの情報を元に
時空間転移装置を仕上げ、
『計画』の大幅な修正を行う。
実験場は、オーストラリアではなく
日本国内の三点間(朱倉岳.青鷺島.穂樽日)に変更。
目的は、データ収集だけでなく、
黛ら18便墜落事故の犠牲者の救出。それと......
『セルフ』をこの時空内に捕らえ、幽閉すること。
Infinity plus付属のPremium Bookも併せて読むと、次のようなことも分かる。
- 優希堂悟が優希堂沙也香を殺した。
- それが何者かに操られたせいだと優希堂悟は考えている。
以上のことから、優希堂悟は、「阿波墨の事件」が『超越的な意思(あるいは知性体)』の仕業であると考えていることが分かる。 しかし、「阿波墨の事件」がDID患者の一人格による大量殺人事件であるならば、そのような推測に至ることが説明困難である。 常識で考えて、頭のおかしい人が大量猟奇殺人を行なっただけなら、そこから『超越的な意思(あるいは知性体)』の存在を推定することはあり得ない。 また、正体の分からない『超越的な意思(あるいは知性体)』を召還し、かつ、幽閉するために時空間転移装置が利用できるとどうやって知ったのかも説明困難である。 しかし、「阿波墨の事件」が、装置によって『超越的な意思(あるいは知性体)』が召還された事例であるならば、これらの謎は容易に説明できる。
- ライプリヒ製薬は、装置を使い何らかの実験を行なっていた。
- 実験の被験者の一人が犬伏景子だった。
- 実験中で、被験者の人格とは違う、想定外の人格が現れた。
- 想定外の人格に乗っ取られた犬伏景子は、暴走し、「阿波墨の事件」を起こした。
- ライプリヒ製薬は、真相を隠すため、犬伏景子をDID患者に仕立て上げ、スフィアに幽閉した。
「阿波墨の事件」の真相が以上のとおりであれば、想定外の人格が『超越的な意思(あるいは知性体)』だったのではないかと推測することも説明できるし、装置が『超越的な意思(あるいは知性体)』の召還に利用できると推測するのも当然と言える。 そのためには、犬伏景子はDID患者でない方が良い。 犬伏景子が偶然にもDID患者だったのでは、あまりに話が出来過ぎている。 よって、「人格が入れ替わることもある」では、年表の記述との整合が取れなくなる。
犬伏景子がDID患者でないなら、「境界例を併発している」とする説明も不要である。 「コロコロとテンションや言っていることが変わります」は、理知的な合理主義者であるが意地っ張りで十分に説明のつくことである。 年表と整合させる気があるなら、犬伏景子が精神疾患を煩っていないとした方が都合が良い。
以上のことから、中澤氏は、裏設定間の辻褄を合わせようとすらしていないのではないか。
本編との整合性
Remember11考察 犬伏景子のとおり、本編では、優希堂悟(主人公)がこころの人格と対面した事があるか尋ねたことが重大なヒントになったはずである。 そして、一人交換日記を読んだうえで「私も同じ境遇に巻き込まれてるかも知れない」と言っており、自身の人格交換現象に気づいている様子が見られる。 それならば、犬伏景子が「また新しい人格が増えたのか」くらいにしか思っていないことはあり得ない。
では、何故、このような矛盾が生じるのか。 それは、ライプリヒ製薬が犬伏景子を実験台にした経緯の説明のためではないだろうか。 いくら大きな会社だからと言って、一般人を無差別に拉致って実験台にするわけにはいくまい。 そんなことをすれば大きな社会問題として騒がれ、いずれ刑事事件として立件される危険性がある。 そんな危険な橋を渡るよりは、精神疾患治療施設などを隠れ蓑にして実験した方が遥かに安全である。 しかし、そうするためには、犬伏景子を精神疾患治療施設に収容する必要がある。 犬伏景子を精神疾患治療施設に収容するならば、犬伏景子は精神疾患患者でなければおかしい。 優希堂悟が『超越的な意思(あるいは知性体)』の存在に気づくためには、犬伏景子は精神疾患に偽装された実験台でなければならない。 しかし、犬伏景子が実験台となるためには精神疾患患者でなければおかしい。 この辻褄を合わせることができなかったため、犬伏景子のDID設定が残されたのではないか。
優希堂悟
PSP限定版プレミアムブックには、次のように書かれている。
−TIPSを見ていると“オレ”は“アイツ”の記憶を移植したものであるかのように思えます。 でも、“オレ”が持っている知識というのは、解説書を読んで、ココロ編をクリアしたプレイヤーと全く同じですよね?
−やはり悟は記憶喪失ではなく、“アイツ”の記憶を移植された、と。
中澤:“オレ”は知っているべきことを知らないくせに、ヘンなことは知っている。 TIPSでも触れていますが、あの偏り具合には理由があるんです。 どうやったら、彼が持っているようなチグハグな記憶が形成されるのか。 偶然欠けている訳ではありません。なるべくして、ああいう記憶になっているんです。 それを考えの足がかりにしてください。 まぁ、もう答えを言ったようなものですけど(笑)。
「チグハグな記憶が形成」された「なるべくして、ああいう記憶になっている」原因は、Remember11考察 優希堂悟のとおり、記憶喪失の後で一部の記憶を連想によって思い出したことによる。 また、Remember11考察 優希堂悟のとおり、“オレ”は「ココロ編をクリアしたプレイヤー」が知り得ないことを多数知っている。 とくに、「日本国憲法第100条」や優希堂悟の癖は、ココロ編には一切出て来ず、サトル編での“オレ”の言動によってプレイヤーが初めて知る情報である。
ところが、この一連のインタビューでは、それらのことについては一切触れられていない。 このインタビューの中で「言ったようなもの」に該当するであろう記述は、「ココロ編をクリアしたプレイヤーと全く同じ」くらいしかない。 しかし、それでは、プレイヤーが知り得ない情報を“オレ”が知っていることを説明できない。 とくに、「日本国憲法第100条」や優希堂悟の癖は、瑣細なミスで片付けられない両編の重大な差異である。 それ故に、情報の出所が説明できないことは、解釈として致命的となる。
また、「ココロ編をクリアしたプレイヤーと全く同じ」は、作品中で示されていない完全後付けの超越設定となる。 作品中で暗示すらされていない超越設定が、物語の謎の答えとなるのでは、重大な反則だろう。 以上のとおり、「もう答えを言ったようなもの」はRemember11本編と決定的に矛盾する。
では、何故、このような矛盾が生じるのか。 黛鈴に関する記憶に関しては、一応の理由付けは可能である。
- 黛鈴の本性をココロ編で明かすのは早過ぎた
- ココロ編とサトル編の情報量が同じでは、マンネリ過ぎてサトル編が退屈になってしまう
黛鈴の本性については、ココロ編でもその片鱗を見ることができる。 ツンデレと言うか、協調的ではないが本当は悪い人ではなさそうというところまでは分かる。 しかし、彼女が協調的ではない理由までは分からない。 サトル編では、黛鈴が過去を悔いており、それを取り返すために何としてでも優希堂悟に遭いたいこと、どんなことをしてでも生き残る決意であることがわかる。 どんなことでもとは、極端なことを言うと、他のメンバーを殺してでも生き残ることを考えていたのだろう。 だとすると、黛鈴にとって最大の敵は情である。 情が移っては、他のメンバーを殺せなくなる。 だから、黛鈴は、故意に他のメンバーと距離を置いたのではないか。 といった情報を序盤に明かしてしまっては拍子抜けである。 だから、黛鈴に関する情報をココロ編で隠す必要があったのではないか。
また、サトル編で新規に判明する情報がないと、黛鈴との会話シーンが非常に退屈になる。 それを避けるためには、ココロ編での情報を一部制限する必要があったのではないか。
以上のように、黛鈴に関する記憶に関しては、一応の理由付けは可能である。 しかし、優希堂悟(オリジナル)の考え事をする時にコメカミをトントンと叩く癖についてだけは、理由付けが難しい。 優希堂悟(主人公)の記憶が「ココロ編をクリアしたプレイヤーと全く同じ」という設定にしたいなら、当然、ココロ編で優希堂悟(オリジナル)の癖を披露しておくべきである。 そして、ココロ編最期の優希堂悟との邂逅シーンにおいて、優希堂悟(オリジナル)の癖を披露しても何ら不都合はないはずである。 それなのに、何故か、このシーンでは、優希堂悟(オリジナル)の癖は披露されていない。 辻褄合わせが難しいわけでもないのだから、このシーンで優希堂悟(オリジナル)の癖を披露しない理由は何も無いのである。 作者が完全に忘れていたということでもなければ。
まとめ
辻褄合わせが完了しなかった部分は、当初、解決編で明示する予定だったのではないか。 しかし、辻褄合わせが完了しなかったために、削らざるを得なかったのではないか。 辻褄合わせが終わっているなら、解決編の形を取らずともTIPSに記述しても良いはずである。 優希堂沙也香の情報もほとんどは本編で明かさずにTIPSで明かしている。 だから、本編に無い情報をTIPSに盛り込んではならない理由は無い。 それなのに、「“真相”に肉薄できる情報」をTIPSにさえ入れなかったのは、辻褄合わせが完了しなかったからではないのか。 辻褄が合わないから、ゴッソリ削除するしかなかったのではないか。
- 楠田ゆにが歴史を守りたかったのか、変えたかったのか
- 犬伏景子が精神疾患を患っていたのか、いなかったのか
- 優希堂悟(主人公)の記憶が「ココロ編をクリアしたプレイヤー」と同じなのか、違うのか
これらについては辻褄合わせが完了していないため、どちらの答えであっても何らかの不都合が生じるのである。 どちらかと言えば、作者の推奨する側の答えの方が無理が大きい。 だから、TIPSに盛り込むことも出来なかったのだろう。
*1 本編の絵の拡大縮小回転、実写映像、建物の3DCG等は他作品でも良く見られる
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References:[運営その他雑談] [Remember11考察]