Remember11考察(旧)
序章はRemember11考察 序章に、残された謎はRemember11考察 残された謎に、参考資料とネットで見つけた気になる考察はRemember11考察 検索結果に、物語の設定上どうでもいいようなウンチクはRemember11ウンチクに、それぞれ、移動しました。
前置き
基本原則(抜粋)
以下、考察の基本原則より、考察の三大原則と五大原則の概要について抜粋する。詳細は、物語の条件と考察の基本原則と反論のルールを参照のこと。
物語の条件に書いた通り、優れた作品の主要設定は全て先付け設定でなければならない。 後付け設定は実質的万能設定であり、そのような万能設定で都合良く解決するならば、人間ドラマにも寄与しないし、作者の知恵不足を露呈しているだけの、明らかな駄作である。 もし、万能設定を採用するなら、その万能設定で何もかも解決するのだから、謎は何も残らない。 つまり、万能設定を採用した時点で考察の意味がなくなる。
万能設定を用いても、自分が想像するだけなら十分に楽しい。 しかし、それは、話の流れを自分の思うようにコントロールできるからであって、想像した結果だけを聞かされる側にとっては幼稚な結末を聞かされるだけで少しも楽しい話ではない。 それは、自己満足の独り善がりな行為でしかない。 そして、そうした独り善がりな行為を見せびらかす人に限って、観客からの干渉を嫌う傾向にある。 そんなに他人に干渉を受けたくないなら人目を忍んでコッソリやれば良いのではないか。 よって、ここでは、そうした独り善がりな行為を披露することはしない。
- 先に理屈をこね回すのではなく、まず、示唆する描写を見つける。
- 既出技術設定の枠内でのみ考察する。決して、枠を踏み外さない。
- あらゆる可能性を吟味し、安易に候補を絞り込まない。
次の2つも加えれば五大原則である。
- 万能設定や実質的万能設定にはしない。
- 解消不能かつ致命的な矛盾は回避する。
作品が駄作であることを前提とするなら、これらの原則は踏み外してもかまわない。 しかし、駄作を前提とした考察に何の意味があるのだろうか。 本当に駄作であるなら、考察などせずに、さっさと忘れた方がマシだろう。 また、駄作前提の考察では作品の質の検証にも役立たない。 つまり、作品が良作と信じるにしろ、作品が駄作と信じるにしろ、駄作前提の考察は何の意味も持たない。 よって、このサイトでは、作品が駄作であることを前提とした考察はせず、これらの原則に従って考察する。
ページ概要
考察の基本原則の五大原則を守り、作品に忠実かつ無矛盾な考察に拘る点は、他の考察サイトには見られない特徴でしょう。 ネットにある考察の大多数が次のいずれかに属しています。
- 作品を駄作に貶める解答
- 作品の質を維持、又は、高めてはいるが、依然として未完成な解答
そして、前者が圧倒的多数を占めています。 このサイトでは、作品を駄作に貶めてまで解答を示すのは本末転倒であると考えます。 考察を完成させることよりも、作品の質を低下させないことを優先します。 作品の質を貶めてまで考察を完成させても意味がありません。
尚、このサイトの考察には、誰も思いつかないような凄い発想は皆無です。 努力によって、具体的描写を深い所まで掘り下げていますが、その描写を元にした考察は誰にでも思いつく内容です。 だからこそ、信憑性を持つのです。 「1+1=2」は、計算ミスをしなければ、誰が計算しても同じです。 ミスをした人を除外すれば皆が同じ解答になるからこそ、それが正解であろうと推測できるのです。 もし、他人とは違うオリジナリティのある答えになるのであれば、それは、考察者独自の創作理論を混ぜているからです。 考察の基本原則にも書いたとおり、考察者独自の創作理論を入れたら、それは、もう、考察とは呼べません。 物語を読み解いて、その中から答えを導いてこそ考察と呼べるのだから、独創性があってはまずいのです。
基本テクニック
テキスト置き場 - Little Wonderで基本的なシナリオのテクニックが解説されています。このうち、伏線*1、ミスディレクト、レッドヘリングについては、Remember11を読み解くうえで非常に重要なので、ぜひ、読んでおきましょう。
その他、Remember11考察 前置きに読解のための基本説明を入れているので、そちらも併せてお読みください。
同じ作者の作品
同じ作者の別作品から、作者の考え方等を読み取ろうとする試みをRemember11考察 各種資料で試しています。
序章
Remember11考察 序章に考察の序章を掲載しています。
解決可能な謎
結末まとめ
Remember11で何が起きたのか整理しておく。
- ココロ編での選択肢がサトル編に反映される
- サトル編での選択肢がココロ編に反映される
- ココロ編でバッドエンド後にサトル編を始めると強制的に連動バッドエンドになる
- サトル編でバッドエンド後にココロ編を始めると強制的に連動バッドエンドになる
以上のようなことから考えて、ココロ編での出来事とサトル編で出来事はピッタリと一致していると考えられる。
タイムテーブル
登場人物の動きが良く分かるように、タイムテーブルを作成した。 ただし、黄泉木聖司と黛鈴と優希堂悟は省略。
太い実線は登場人物が実際に体験した時間であり、細い破線は転移装置による時空間転移を意味している。 尚、スフィアと山小屋サークルは2011年と2012年を行ったり来たりしているが、記述の簡便化のため、登場人物がサークル内に留まったままの場合は、転移を省略して本来あるべき時代に固定されているものとして表記する。 つまり、スフィアごと2011年に転移した場合は2012年に居るものとして扱い、山小屋サークルごと2012年に転移した場合は2011年に居るものとして扱う。 そうしないと、転移の度に2011年と2012年のキャラの移動を書かなければならなくなり、ただでさえ見辛い絵が余計に見辛くなる。
ココロ編エピローグは2012年以降の出来事であって2011年の出来事ではない。分かり難いかもしれないが、次の5人は、最終的に、本来居るべき時代に戻っている。
- 涼蔭穂鳥
- 犬伏景子
- 内海カーリー
- 優希堂悟
- 楠田ゆに
一方で、次の3人は、1年後の未来に飛んでしまった。
- 黄泉木聖司
- 黛鈴
- 冬川こころ
楠田ゆにの足跡は1本の線で繋がっており、無限ループにはなっていない。 また、太い実線が重複する部分がないので、他人から見た楠田ゆには常に1人である。 さらに、詳しく知りたい方は、Remember11考察 楠田ゆにを参照のこと。
ココロ編
ココロ編は、冬川こころ、楠田ゆに(12歳)、黛鈴が青鷺島の海岸で優希堂悟(肉体は榎本尚哉)と邂逅した所で終わっている。 そのエピローグでは、「7月20日、天気、晴れ」で始まる冬川こころの録音音声が流れる。 それには、次のように吹き込まれている。
『ここに新聞記事がある』
『あの避難小屋にあった記事と同じものだ』
冬川こころが嘘の情報を吹き込んだのでなければ、冬川こころが生還した後も死亡記事が存在することになる。 そう、冬川こころは、生きているのに、新聞記事では死んだことになっているのである。 ちなみに、この音声が録音されたのは2011年ではなく、2012年以降である。 録音内容から朱倉岳での遭難を経験した後のことであることが分かるので、確実に、2010年以前ではない。 一方、2011年7月には、Remember11の世界に冬川こころが存在していない。 よって、この内容を吹き込めるのは2012年以降のことである。
サトル編
サトル編では、優希堂悟(肉体は榎本尚哉)が青鷺島の海岸で冬川こころ、楠田ゆに(12歳)、黛鈴と邂逅した後のことが書かれている。 結果として、黄泉木聖司、内海カーリー、犬伏景子を含む7人は全員生還し、2012の青鷺島に到着している。
さて、ココロ編での出来事とサトル編で出来事はピッタリと一致しているということから考えて、 ココロ編でも、7人全員生還したと考えられる。 つまり、新聞記事で死んだことになった3人は誰も死んではいない。 にもかかわらず、3人の死亡記事が存在するのである。 それが意味することは後述する。
優希堂悟
優希堂悟と榎本尚哉の人格交換、優希堂悟の記憶喪失を考慮すると、本物の優希堂悟とサトル編の主人公を区別する必要が生じることがあります。 そこで、サトル編の主人公を指す場合はサトルと呼ぶことにします。
本編中に示された、サトルの記憶は、全て、優希堂悟が知っていてもおかしくないものばかりです。 特に、次のような情報は本物の優希堂悟しか知り得ません。
- サトルは黛鈴と別れた時期及び交際期間を知っている
- サトルは黛鈴のピアスが優希堂悟が誕生日に贈ったピアスだと知っている
- サトルは黛鈴と話した「お互いが消えてしまったら」の詳細を知っている
- サトルは日本国憲法第100条1項〜3項*2を知っている
サトルの記憶はプレイヤーの記憶が移植されているという説がありますが、それでは、上に挙げたような記憶を説明することができません。 その他、プレイヤー説は、多々の描写と矛盾します。 よって、「記憶移植」というキーワードは、何らかのミスディレクションと考えた方が自然です。 というか、もうそろそろプレイヤー介入説のような荒唐無稽で無意味な考察モドキは止めにしませんか?
以上、詳細はRemember11考察 優希堂悟を参照のこと。
涼蔭穂鳥
運転免許証を見れば分かるとおり、涼蔭穂鳥は、朱倉岳で雪に埋もれていた女性です。 彼女は、あのまま死んでしまうのでしょうか。 それは、あんまりですね。 公式掲示板に、涼蔭穂鳥はキュレイ(前作に登場したウィルス)感染者ではないかとする説が投稿されました。 普通に考えると荒唐無稽な説ですが、果たして・・・。 詳細はRemember11考察 涼蔭穂鳥をご覧ください。
黛鈴
一見すると、黛鈴は傲慢で冷たい人間に見えます。 しかし、黛鈴の本当の姿を少しだけ垣間見ることができます。 グルグルの想い出などを聞く限りは凄くオトメチックですよね。
以下、ココロ編の描写。
黛「あなたに逢うためだけに、私は生きてきたの・・・生き延びてきたの」
黛「あなたに逢うためなら、なんでもやった」
黛「酷いことも、理不尽なことも、嫌われるようなことも、なんでもやってきた」
黛「他人にどう思われようと、全然構わなかった」
黛「だって、私に残されてるのは、あなただけだったんだもの」
黛「悟・・・」
私は、私の胸の中で呟き続ける黛の背中をそっと撫でてやった。
以下、サトル編の描写。
黛「私、怖いの・・・」
黛「怖くて、怖くて・・・押しつぶされてしまいそうで・・・」
黛「このままじゃ、私・・・本当に・・・どうにかなっちゃうかも知れない・・・」
黛「悟・・・助けて・・・」
悲痛な懇願が耳に響く。
彼女はしがみつくように、オレの背中をまさぐっていた。
黛「私達・・・きっと助からないのよ・・・」
黛「あの新聞の通りになるのよ・・・」
黛「やだ・・・やだ・・・」
黛「私・・・まだ死にたくなんかないのに・・・」
黛「なんでこんなことになっちゃったの・・・?」
黛「帰りたい・・・帰りたいよぉ・・・」
以下にサトル編の描写。
黛「本物の悟に・・・逢いたい・・・」
鈴の瞳から涙がこぼれ落ちた。
黛鈴が本音を漏らす描写によれば、黛鈴と優希堂悟は、黛鈴の親の都合で別れることになったわけです。 しかし、優希堂悟はそれを知らず、黛鈴に捨てられたと思ってるわけです。 黛鈴はそれを後悔し、自分の本心を伝えようと優希堂悟に会いに行く途中で事故に巻き込まれたのです。 だから、優希堂悟に一目会うまでは死んでも死にきれないわけで、何としてでも生き残りたい、 そのためには、他の3人を踏み台にすることも厭わないと思っていることが、各種描写から読み取れます。 加えて、優希堂悟を名乗る冬川こころの言動にも不信感を持っているなどの理由により、冷たい態度を取っているだけなのです。
犬伏景子
エンディングの岸壁で鬼のような形相の犬伏景子はどうなったのでしょうか。 犬伏景子は本当に残忍な殺人鬼だったのでしょうか? 結論から言えば、犬伏景子のDIDは何者か(言うまでもなくライプリヒ製薬)による偽装工作の疑いがあります。 犬伏景子は、理知的な合理主義者なだけであり、残忍さを裏付ける描写はありません。 詳細はRemember11考察 犬伏景子をご覧ください。
優希堂沙也香
犬伏景子が優希堂沙也香とする説があります。 しかし、その根拠としていることは、【作者がそれを示唆したであろう意図】を見いだす理由が無い描写ばかりであり、説得力に欠けます。 また、TIPSで優希堂沙也香が死んだと書かれていることが言葉通りの意味ではないとする強引な解釈が必要となります。 Infinity plus付属のPremium Bookのインタビュー記事によれば、TIPSの「死」が言葉通りの意味であることはほぼ確実です。
公式掲示板には、冬川こころが優希堂沙也香であるとする説が投稿されました。 これも、少々無理はあります。 しかし、それを示唆したと汲み取れる不自然な描写がいくつか見られるため、犬伏景子説と比べれば少しは説得力があるでしょう。 さらにもっと追求すると、面白いな答えも作り出せます。
以上の詳細はRemember11考察 優希堂沙也香をご覧ください。
アイツとセルフ
アイツはこの物語の世界の神のような存在で、かつ、真の主人公らしいです。 詳細はRemember11考察 アイツとセルフをご覧ください。
歴史は変わる?
バッドエンドを除く、グッドエンドのルートでは、歴史が変わる描写は一切ありません。 ちょっと待て!死亡記事はどうなんだ?と言う方は、ココロ編のエピローグをもう一度良く見てください。
『・・・7月20日、天気、晴れ』
『ここに新聞記事がある』
『あの避難小屋にあった記事と同じものだ』
見れば分かるように、冬川こころが救出された後も死亡記事が実在しています。記事の内容も変わっていません。 そして、グッドエンドのルートでは、黄泉木聖司、黛鈴、冬川こころの3名の死を目撃することは一切ありません。 記事の内容も、3名の生死も、変化を示す描写は一切ないのです。
楠田ゆにが体験したこと | グッドエンドでの出来事 | |
---|---|---|
死亡記事 | あり | あり |
山小屋メンバーの生死 | 「歴史を変えたくなかった」 | 生存 |
さて、一体、何処に歴史の変わった描写があるのでしょうか。
グッドエンド
何故、グッドエンドに至るルートを特別視するかと言えば、それが、いわゆる「正史」と考えられるからです。 確かに、バッドエンドを回収することで「正史」では見ることの出来ない穂樽日等の舞台裏を見ることができます。 しかし、それは、バッドエンドで起きることが「正史」でも起きることを意味してはいません。 バッドエンドは、一種のパラレルワールドとして存在しているのであって、グッドエンドと同じ歴史の中に存在するわけではないのです。
グッドエンドのように歴史が変わらないためには、主人公が生存することが必須条件です。 つまり、バッドエンドのように主人公が死ぬのでは、歴史が変わらない描写は不可能です。 グッドエンドでもバッドエンドでも、必ず、歴史を維持するような物語を描こうとするなら、主人公の行動が歴史に重要な意味をもたらさないようにするしかありません。 つまり、主人公が大した活躍をしないという展開でなければなりません。 主人公が活躍するからこそ面白いのであって、活躍なしでは面白い物語など描けるはずがありません。 よって、バッドエンドでも歴史を維持することは原理的に不可能です。 だから、どんなに歴史が変わらない世界観を構築したいと思っても、そうした作者の意図をバッドエンドにまで反映することはできません。 つまり、バッドエンドでは止むなく歴史が変わるのであって、それは、作者の意図によって歴史が変わるわけではないのです。
歴史が変わる世界観が意図されているならば、グッドエンドに至るルートの中で、歴史の変化が描写されているはずです。 たとえば、バッドエンドを見ないとグッドエンドに到達できない、バッドエンドで歴史の変化を見ることがグッドエンドの必須条件という仕掛けでも構いません。 そうした、歴史が変わるシーンが「正史」の中に組み込まれていると考えられる描写があって、初めて、歴史変化の意図が示唆されたと言えます。 逆に言えば、「正史」にない歴史変化は、「正史」として意図されたとは言えないということです。
腐乱死体
腐乱死体については、勝手な思い込みで可能性を狭めているために、正解を真っ先に外してしまう人が多いようです。 実は、次のことに気付けば、自ずと正解が分かります。
- 黄泉木聖司、黛鈴、冬川こころの3名は死なないのが本来の歴史である
- 代わりの死体を用意する時間的猶予は約4ヶ月半
- 代わりの死体の正体は、未知の人物を含めて誰でも良い
- 偽装工作を指揮した人物は既知であるべきだが、未知の人物が肉体労働要員として偽装工作に関与しても差し支えない
詳細は、Remember11考察 腐乱死体をご覧ください。
時空間転移装置
Y軸曲げ
榎本尚哉は次のように言っています。
装置には、さらにもうひとつの機能が備わっている
それは・・・
時間を歪める機能だ
榎本尚哉は、Y軸曲げは装置の機能だと断言しています。 この榎本尚哉の説明を疑う合理的な理由がないなら、これは事実として受け止めるべきことでしょう。
意識残留
榎本尚哉は、次のように明言しています。
榎本「今のきみに必要な情報は、知るべきことは、きみの身の保障のことではない」
榎本「最も重要なこと、それを説明しよう」
榎本「なんのことを言ってるか、もちろんわかっているだろう?」
悟「人格交換・・・だな?」
榎本「御名答」
榎本「やっぱりきみは、頭がいい」
そう言うと、榎本は唇の端を持ち上げ、ニヤリと笑った。
榎本「さて、どこから説明しようか」
言いながら、榎本はコンソールの前の椅子まで歩いていった。
榎本「というより、きみはどこまで覚えている・・・わかっているのかな?」
椅子に腰掛け、背もたれに身を預けながら、榎本は訊いてきた。
榎本「まず話はそれからだ」
悟「オレがわかっていること・・・」
榎本「そうだ、話してくれたまえ」
榎本は肘掛けに頬杖をついてオレに話をするように促した。
オレは目を閉じると、これまでの自分が把握してきたことを頭の中で反芻した。
それから、静かな口調で語り始めた。
命題Rのことを・・・。
r1:人格交換について−。
r2:青鷺島と朱倉岳、それぞれの場所で達成すべき目的について−。
r3:内海と穂鳥について−。
榎本はr1については、とても興味深そうに、時折相槌を打ちながら聞いていた。
けれどr2とr3については、さして興味がないといったふうに聞き流しているような素振りを見せていた。
オレが話し終えると、榎本は椅子にもたれながら・・・
榎本「ブラボー」
と言って軽く拍手した。
榎本「いや、見事だ。」
榎本「よくもまあ、限られた情報の中からそこまで導き出せたものだ」
榎本「素晴らしい」
悟「・・・」
榎本「青鷺島と朱倉岳の転移」
榎本「青鷺島から朱倉岳への転移は、その発生時刻に規則性はなく、完全なランダム」
榎本「しかし、朱倉岳から青鷺島への転移の場合は33分間という時間内で『現象』は維持され、元に戻る」
榎本「この転移は、同時並行的に発生するのではなく、1年間のブランクを挟んで行われる」
榎本「つまり、2011年と2012年の間で行われている」
悟「要するに、時間跳躍と人格交換を一緒に行ってるということなんだろ?」
榎本はサングラスのブリッジを持ち上げると、ゆっくりとうなずいた。
榎本「その通りだ」
榎本「大枠については、だがね」
それは、オレの推理がただの憶測ではなく、限りなく真実に近いところまで行き着いていたことを示していた。
悟「それでも、いくつかわからないところがある」
悟「いや、わからないことの方が多いと言ってもいい」
榎本「それはそうだろう、当然だ」
悟「まずは、なぜこんな現象が起きたのか」
榎本「ふっ、いきなり核心をついてきたね」
榎本「まあ、いいだろう」
榎本は椅子から立ち上がると、スパコンらしき大型のマシンへと歩み寄っていった。
榎本「『装置』のおかげさ」
といって、榎本は大型のマシンに手を触れた。
榎本「『装置』の処理によって、この『現象』は起きている」
榎本「説明は以上だ」
ここで言う『現象』は前後の会話から見て「時間跳躍と人格交換を一緒に行ってる」ことです。 それを榎本尚哉は「『装置』の処理によって、この『現象』は起きている」「説明は以上だ」と明言しているのです。 この榎本尚哉の説明を疑う合理的な理由がないなら、これは事実として受け止めるべきことでしょう。
榎本尚哉が意識残留の原因を答えずにはぐらかしたから、「『装置』の処理」から除外されると主張する人がいます。 その人は、榎本尚哉は、答えを知らないからはぐらかしたのだと言います。 どうして、それが根拠になるのか、その論理は全く理解不能です。 何故なら、答えをはぐらかさなければならない何らかの具体的事情を示唆する描写が皆無だからです。 榎本尚哉は、100%味方と断定できるわけではなく、よって、彼が情報を制限するのは何ら不自然なことではありません。 よって、情報の制限は、彼が答えを知らないことを示す根拠にならない。 もちろん、榎本尚哉が嘘をついている可能性はありますが、それならば、彼の説明の全てを等しく疑わなければなりません。 意識残留の原因だけに特別な疑いを発生させる合理的根拠はありません。 念のため、具体的描写を見てみましょう。
悟「なんで・・・オレ達だけが、オレ達の意識だけが残留するんだ・・・わけが、わからない」
それはただの呟きだった。
榎本「さてね」
榎本「どういうわけかな」
確かに、榎本尚哉は、答えをはぐらかしています。 しかし、最初の問いも答えをはぐらかしています。
悟「オレを殺そうとしたのは・・・おまえなのか」
榎本はふっと冷ややかな笑みを浮かべると、サングラスのブリッジに指をやった。
それは、肯定とも否定ともとれるような仕草だった。
悟「なぜ答えない!?」
悟「おまえなのか!?おまえじゃないのか!?答えろ!」
榎本「答える必要などない」
榎本「意味のない質問だ」
榎本「それもまた、些末なことなのだよ」
以下の問いの答えもはぐらかしています。
榎本「この時空間転移を・・・計画を行った理由・・・目的・・・」
榎本「それは・・・」
榎本は・・・すっと・・・オレを指差した。
榎本「それはきみがよく知っていることだろう?」
悟「なに・・・?」
声がかすれた。
それだけ言うのが精一杯だった。
理由は、オレがよく知っている?
榎本「これが答えだ」
榎本「これ以外に言いようがない」
どちらも知っていてはぐらかしているのは明らかであり、答えなくても答えを知らないことにはなりません。 このように、榎本尚哉は、答えたいことに答えただけであって、聞けば何でも答えてくれるわけではありません。 これらの描写は、「意味のない質問」に答えたがらない榎本尚哉の性格と、答えなかったことが榎本尚哉にとって「意味のない質問」であること、すなわち、説明する必要がない、説明せずとも目的達成には影響がないことを示しているだけです。
卵が先か?
さて、順序を間違えている人が多いが、意識が肉体から乖離してその場に残留するから人格交換が起きるのである。 人格交換が起きるから意識が残留するのではない。 その証拠に、榎本尚哉は次のように断言している
榎本「転移の際、きみと冬川こころの意識だけは、肉体から乖離して、その場に残留する」
榎本「きみの意識は2012年の青鷺島に、冬川こころの意識は2011年の朱倉岳に」
榎本「そして、きみ達の意識を除いた物質と他の人間だけが転移をする」
榎本「肉体というウツワを失くしたきみと冬川こころの意識は、新たにやってきた代替品としてのウツワの中へと、それぞれ憑依する」
榎本「すると・・・」
榎本「こうなるわけだ」
悟「・・・」
榎本「きみは冬川こころの肉体に・・・冬川こころはきみの肉体に・・・」
意識が残留している所へ、代替品となるウツワがやってくるから憑依するのである。 憑依するウツワがやってくるから意識が残留するのではない。 それを裏付けるかのように、バッドエンドでは、意識が残留して「新たにやってきた代替品としてのウツワ」がない場合、幽体離脱のような状態になる様子が描かれている。
確かに、サトルは、サトル編6日目前半において、次のような推理を披露している。
だから、この入れ替わり現象を終わらせるためには、半径110mのサークルから出てしまえばいいのだ。
サークル内から出さえすれば、オレの肉体は1年前の朱倉岳へと飛ばされずに済む。
当然、意識が乖離することもない。
こころの方も、代替品としてのウツワ(オレの肉体)が、朱倉岳にやって来ないのだから、意識が離脱することはないだろう。
ただし、榎本の言っていたことが全部本当だとすれば、の話だが・・・。
これは、終盤における推理なのだから、正しい推理なのだろうか。 いや、全くそうとは言い切れない。 まず、これは、新規の情報ではない。 というのも、「榎本の言っていたことが全部本当だとすれば」という前提の推理であり、榎本尚哉から得た情報以外に何も追加されていないからだ。 それなのに、何故か、サトルは、榎本尚哉の言っていたことと全く違うように解釈し直している。 だから、この時点で、プレイヤーは、サトルが何か誤解をしている可能性に気付くことが可能である。 そして、このサトルの誤推理は、後述する別の間違った推理へと導くためのものであり、間違った推理をさせるだけの合理的理由がある。 さらに言えば、この誤推理を訂正する情報が、さらに、後になってから提供される。 これだけの条件が揃っているのだから、終盤とは言え、誤推理である可能性は極めて高い。
さて、この誤推理から導かれる「別の間違った推理」とは以下の推理である。
いや、なにも最初の33分に限定することはないかも知れない。
2回目、3回目、4回目、初期の転移時ならば、どのタイミングでもかまわないような気がする。
けれどいずれにせよ、犬伏景子の意識が、涼蔭穂鳥の肉体の中で死に絶えたのは確かだ。
ところで、犬伏の身体に転移した穂鳥は、そのあとどうなったのだろうか?
対をなすべき片方の肉体(自分の肉体)が死んでしまったのだから、穂鳥には乗り移るためのウツワがなくなってしまったことになる。
ウツワがサークル内から消滅すれば、意識の乖離は起こらない。
であるとするならば、穂鳥はそれ以降、一度も人格転移を経験せず、今に至っていることになる。
これが間違った推理であることは、プレイヤーがよく知っているだろう。 明らかに、ココロ編とサトル編の涼蔭穂鳥こと犬伏景子は別人である。 サトル達の人格交換に連動してDID症状が起きるのも出来過ぎであろう。 そして、涼蔭穂鳥と犬伏景子に人格交換が起きたことを知ったのであれば、ココロ編とサトル編の人格の差が、装置による人格交換だったことを知ることができる。 プレイヤーは、この時点で、サトルの間違いに気付いているのである。
代替品のウツワがやって来なければ意識が乖離しない・・・という誤推理をさせる理由はもう一つある。 サトルには、最終日に人格交換が起きないという認識を持たせなければならない。 でなければ、冬川こころの生命に危険が生じるので、救出活動を行なえなくなる。 ところが、サトルは、最終日に人格交換が予定されていない事実を知らない。 知り得ないことについて、何らかの方法で正しい答えを導き出さなければならない。 正解を教えることができないならば、間違いに間違いを重ねて偶然と結果だけは正しい・・・という方法しかない。
サトルの推理が間違っている証拠は、ユウキドウ計画失敗エンドで明かされる。 「第3領域」には、内海カーリーが寝かされていたと思しきベッドがある。 ユウキドウ計画失敗エンドでは、そこには内海カーリーはいなかった。 もちろん、「第3領域」の他の場所に居るとも考え難い。 さて、内海カーリーが「第3領域」に連れて来られた理由は何か。 それは人格交換に利用するため以外に考えられない。 では、ユウキドウ計画失敗エンドで内海カーリーがいなかった理由は何か。 それは、その時点では、内海カーリーの存在が必要なかった、つまり、人格交換を行なう必要がなかったからである。 つまり、その時点では、人格交換を行なわないよう予定が組まれていたのである。 7日目に誰の意識も乖離しなかったのは、代替品のウツワがやって来なければ意識が乖離しないからではない。 単に、装置の意識残留機能を使わなかっただけである。
コーヒーの味
榎本尚哉は、何も説明していませんが、これも装置の機能なのでしょう。
ユウキドウ計画
ユウキドウ計画は、サトルが第三地点に行くことによって起こるバッドエンドのタイトルにのみ表記されている名称です。 「計画」という呼称は、たびたび、出てきますが、これは、ユウキドウ計画と同じものであろうと推測されています。
TIPS110「優希堂沙也香」には、優希堂沙也香の死が原因で優希堂悟が計画を立案・遂行したことが書かれてます。 また、HAL18便の事故が報じられる前、優希堂悟は、オーストラリアに長期滞在を予定していた*3とか。 つまり、ユウキドウ計画は、本来、HAL18便の事故とは無関係に計画されたものであり、偶々、計画中にHAL18便の事故が起きたために、急遽、朱倉岳と青鷺島の間で行なうように変更されたものです。 つまり、ユウキドウ計画は、単に、事故の犠牲者を救出することだけを目的としたものではなく、他にも、何か明確な目的があります。 もちろん、計画を変更したのだから、犠牲者(のうちの誰か)を救出しようとしているのは明らかですが、救出だけなら、人格交換を行なう必要はありませんし、何度も何度も、無意味に時空間転移を発生させる必要もありません。 わざわざ、回りくどいことをやっているのは、その行為に何か理由があるからです。
TIPSの記述から、第三視点を開眼して、アイツに会おうとしていたことが分かります。 しかし、それは手段に過ぎないわけで、本当の目的は・・・。 詳細はRemember11考察 ユウキドウ計画をご覧ください。
人格交換
サトルと冬川こころ
榎本尚哉が装置の機能だと断言しており、これを疑う理由がない以上、装置の機能によって人格を入れ替えられたと考えるのが妥当です。 装置の機能でないとすると、特定の人物にだけ人格交換(意識残留)が発生していることが説明できない。
犬伏景子と涼蔭穂鳥
サトルと冬川こころの人格交換と完全に連動しているので、同じ原因で発生していると考えられます。 尚、涼蔭穂鳥の生死について曖昧な部分があるけれど、5日目最後の転移直前に冬川こころが筆談で会話する涼蔭穂鳥人格を見ているため、サトルと冬川こころに人格交換が起きている時は、犬伏景子と涼蔭穂鳥にも人格交換が起きていると考えられます。
優希堂悟と榎本尚哉
サトル編のスフィア最初の場面、プロローグ以後、初めて内海カーリーと会ったとき、サトルは自分の名前を言っていないのに、内海カーリーは迷わず優希堂君と呼んでいます。 つまり、プロローグ以前から、内海カーリーは榎本尚哉の肉体を持った人物を優希堂悟と認識していることになります。 このことは、優希堂悟と榎本尚哉はプロローグ以前から入れ替わっていたと示唆しているようです。
また、時空間転移装置に人格交換の機能が組み込まれている事実とも併せて考えると、優希堂悟と榎本尚哉も装置で入れ替わったと考えるのが妥当でしょう。
時計台の殺人鬼
意外な犯人は、消去法で彼でしかありえません。 その犯人とは・・・。詳細はRemember11考察 時計台の殺人鬼をご覧ください。
時刻偽装犯
結論から言えば、故意ならば、12歳の楠田ゆにの犯行、そうでなければ、偶然の事故であろう。
33分のずれが故意によるものであるなら、実行犯は、66分ルール(33分ルール)を知っていることになる。 登場人物の中で、それを知っているのは、榎本尚哉、本物の優希堂悟、12歳の楠田ゆにしかいない。 TIPS107によれば、悟の記憶喪失を苦々しく思っているということなので、彼の記憶を混乱させるような偽装工作を榎本尚哉が行なうとは考え難い。 本物の優希堂悟も同様である。 もし、楠田ゆにが、33分ずれた時計と一人交換日記を見ていれば、その時計のずれを正確に再現することも必須だと思ってもおかしくはない。 よって、楠田ゆにには、動機が存在し得る。
時計をずらすだけならば、他の人物でも差し支えない。 悪戯好きの犬伏景子あたりならやりそうだ。 しかし、彼女が66分ルール(33分ルール)を知っていたとは考え難いので、ずらした分数は偶然の産物で、故意に33分ずらしたわけではない・・・ということになる。 この問いの本質は、【誰が時計をずらしたか】ではなく、【誰が66分ルールを33分ルールに偽装したか】であるので、計画を知っている3人以外による犯行であるならば、実質的に、偶然の事故と変わらない。
偶然の事故という可能性も否定できない。 第3人格が時計を弄くった可能性も十分にあり、その程度の偶然ならば、あり得ないとまでは言えない。 犯行の積極的動機が成り立たず、歴史を維持するという消極的動機しかないのであれば、故意説に固執しなければならない理由はない。 であるならば、偶然の事故としても、何ら考察には差し支えがない。
テラバイトディスク
次のように考えると、テラバイトディスク本体には明確に始まりと終わりが存在します。
- 2011年1月17日〜2012年1月11日の間に作られる
- 2012年1月11日スフィアに置き去りにされる
- 2012年1月17日に2011年のゆにがスフィアから持ち出す
- 2011年のゆにがディスクを持ったまま2011年1月17日の朱倉岳に戻る
- 2011年1月17日以降に2011年のゆにが救出される
- その後、新しいディスクが作成される
- 古いディスクはスフィアに持ち込まれない
描写されていない部分を想像で補完すればループしているように見えるかも知れないけど、明確に描写された範囲に限れば、全くループしていないのです。 テラバイトディスクの物理的劣化を考えれば、描写されていない部分ではループが繋がっていないと考えるのが妥当でしょう。 いや、最後の選択肢で「テラバイトディスクに書かれていた内容とは?」を選んだときの会話に媒体がループしている描写があるぞ・・・と言う人もいるでしょう。
ゆに「悟、あのディスクが今どこにあるのか、わかる?」
悟「今・・・?」
悟「スフィアには無いな」
ゆに「じゃあ、どこに?」
悟「1年前の朱倉岳・・・」
ゆに「それじゃあ、そのあとテラバイトディスクはどこに行ったと思う?」
悟「う〜んと・・・それから1年の時を経て・・・」
悟「今は、おまえが?」
ゆに「ううん、ぼくは持ってないよ」
ゆに「元の場所に戻ったんだ」
ゆに「始まりの地点・・・」
ゆに「2012年1月11日の、スフィアにね」
この会話を聞く限り、媒体が時間の輪に取り込まれているようにも見えます。 しかし、楠田ゆには、腐乱死体や歴史変化について曖昧にはぐらかすような供述をしているので、ここでもそのような曖昧にはぐらかす言い方をしている可能性があります。 だとすると、「それから1年の時を経て」はサトルが勝手に言ったことで、楠田ゆにが同意したわけではないことから、「ぼくは持ってない」と言っている媒体が、サトルがスフィアで見た媒体のことではなく、楠田ゆにがスフィアを出る前に持っていた媒体を指しているとも考えられます。 とすると、やはり、媒体そのものについては描写の空白があると言えそうです。
それでも、「媒体はループしてなくても情報はループしてるじゃないか」と言う人もいるでしょう。 しかし、情報のループまで認めないと言ってしまうと、時間の輪を説明することが困難になります。 言い替えると、情報のループを許容することは時間の輪が可能という仮定に含まれていると考えるべきでしょう。 よって、何の疑問もなく時間の輪を受け入れるなら、その中に含まれる情報のループも受け入れるべきだと言えます。
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References:[Remember11考察]