Remember11ウンチク
物語の設定上どうでもいいようなウンチクなので、Remember11考察から分離しました。
時空間転移装置
Y軸曲げの説明を笑い種にしている人がいるようですが、実は、あの説明には笑う所はひとつもありません。その証拠に、前作でも前々作でも、Y軸曲げに相当する説明は一切されていません。今作と同じように、まるで説明するまでもない当たり前の現象であるかのようにサラッと流されています。それでも、誰も、前作や前々作を笑い種にはしていません。それは、それで説明が十分だからです。
むしろ、空間転移機能の説明の方が荒唐無稽です。それは、説明が蛇足かつ中途半端だからです。空間転移機能の説明として量子テレポーテーションが説明されていました。しかし、空間転移機能を実現するのに量子テレポーテーションは不要で、返って装置を複雑にしています。さらに言えば、空間転移機能を実現するには量子テレポーテーションよりもっと複雑な技術が必要ですが、その技術については一切説明されていません。
榎本「微粒子に分解された原子の状態−人間や物体の量子情報を転送するのだ」
本編の説明によれば、空間転移機能は、対象物を素粒子レベルでバラバラにして転移先で再構成する装置ということでした。ということは、装置の機能を実現するには次の3つが必要不可欠です。
- パーツ
- 設計図
- 組み立て技術
まず、必要なのは転移先で再構成するときのパーツとなる素粒子です。量子テレポーテーションは、このパーツを提供するために使われています。しかし、そのために、量子テレポーテーションは必要不可欠な技術なのでしょうか。もし、私の体を構成する素粒子の量子力学的特性が一斉に変化したら私は私でなくなるのでしょうか。そんなはずはないでしょう。常識で考えて、私が私である所以が、私の体を構成する素粒子の量子力学的特性にあるとは考えられません。とすれば、わざわざ、量子テレポーテーションを使う必要は全くないはずです。
量子テレポーテーションを使うと装置を作るのは難しくなります。というのも、EPRペアを遠くに伝送することが難しいからです。EPRペア状態は簡単に壊れやすく、光が当たっただけで壊れてしまいます。それゆえ、伝送するのは非常に難しいのです。現在、量子テレポーテーションの実験の多くは光子を使っています。というのも、光子は、比較的、伝送しやすいからです。もし、陽子や中性子や電子のEPRペアを伝送しようものなら、完全に近い真空暗室を用意する必要があるでしょう。それでも、EPRペアが壊れる確率は無視できない程度となるはずです。実験室のほんの短い距離でも難しいのに、大気もあり日光も当たる場所での長距離伝送は不可能といっても良いでしょう。さらに言うと、穂樽日と朱倉岳(または青鷺島)はどれくらい離れているのでしょうか。ただし、時間差を無視して、三次元上の距離差だけを考えます。数10km?いえいえ、地球の太陽に対する公転を考えただけでも3億kmも離れています。太陽の銀河に対する公転、銀河の銀河群に対する運動、銀河群の銀河団に対する運動、銀河団の超銀河団に対する(以下略)等を考慮すると軽く150億km以上は離れている計算になります。こんな長距離を伝送するくらいなら、現地で材料となる素粒子を調達するようにしたほうが遥かに楽です。
次いで、再構成するときの設計図が必要になります。転移装置なのだから、元の物質の構成を正確にスキャンする装置が必要だということです。しかし、現在あるCTスキャンなどの分解能はミリ単位です。生物としての機能を復元するには最低でも細胞レベルのスキャンは必要でしょうから、細胞の大きさである10〜100μm以上の分解能が必要なはずです。EPRペアを使うという設定なら、材料となる素粒子を余すところなく使うということでしょうから、設計図も素粒子単位のものが必要となるはずで、それこそ、素粒子レベルでのスキャンが必要でしょう。原理的に考えて、極めて難しい技術であり、とても、人類に作れるものとは思えません。
最後に、設計図どおりにパーツを組み立てる技術が必要です。現在の技術では、原子レベルで文字や記号を書くのがやっとです。それも、針を原子レベルで近づけることで物質の表面にかろうじて文字らしきものが書ける程度です。長距離からの遠隔操作で深部まで正確に組み立てるのは至難の技でしょう。
こうしてみると、空間転移機能だけでもとんでもないオーバーテクノロジーだと分かります。そのために、量子テレポーテーションを持ち出すことが如何に荒唐無稽かは言うまでもありません。作者もそれは十分に分かっていたでしょう。それなのに、そんな荒唐無稽な説明しなければならなかった理由は何でしょうか。それは、EPRペアを前面に出す必要があったからでしょう。
ちなみに、時空間転移を行う地点は直線上の3点となってますが、2点間移動ならともかく、3点間移動では対称形になっていませんね。
生物転移の問題点
量子力学
コペンハーゲン解釈
量子力学について世間では間違った認識が拡がってるようです。詳細は、論理的間違いの実例part1で解説します。
たとえば、量子力学の主流=コペンハーゲン解釈は非決定論だと思っている人がいるようですが、これは間違いです。コペンハーゲン解釈は決定論か非決定論かは棚上げにしているのであって、どちらが正しいかは論じていません。どうやら、粒子と波の二重性とボーアとアインシュタインの論争が間違って理解されているようです。
まず、粒子と波の二重性は決定論と相容れないものではありません。その証拠に、物理学者は誰一人として、粒子と波の二重性が非決定論の証拠だとは言っていません。アインシュタインらは、粒子と波の二重性を受け入れつつも決定論を主張し続けました。
従来の物理学が決定論を前提として成り立っていたのに、コペンハーゲン解釈は決定論を必要としません。というより、決定論との接点を見い出すのが困難と言った方が正確でしょう。だから、量子力学の物理学者であるボーアらは、決定論との接点を見い出すことをアッサリと諦めて、「決定論なんて、どうでも良い」と言ったわけです*1。
それに対して、アインシュタインらは、「どうでも良くねえだろう。決定論が正しいに決まってる」と反発したわけです。ようするに、「どうでも良い」派と「良くない」派の争いだったわけです。しかし、アインシュタインは、決定論の正しさを証明しようとして失敗しました。アインシュタインらは、ボーアらが分からないと簡単にさじを投げることに反発したわけで、本来なら、理論の重要性等を説明して反発すべきところです。ところが、決定論の証明は簡単に出来るとタカをくくったのか、議論はあらぬ方向へ行ってしまいました。
決定論の証拠となるはずだと指摘したことが、実験の結果、決定論の証拠にならないことが分かり、決定論の証明は頓挫してしまったのです。しかし、これは、決定論が正しいと証明されなかっただけであって、決して、決定論の間違いが証明されたわけではありません。決定論が正しいのかどうかは、未だに、決着が付いていません。というか、棚上げされたままです。それは、量子力学の世界では「どうでも良い」派が勝利したからです。
いや、待て!決定論の敗北はベルの不等式で決着したじゃないか・・・と言われる方もいるでしょう。しかし、たとえば、ボームの教え子のJ.Bubによる修正パイロット解釈では、ノーゴー定理もベルの不等式も克服していると聞きます。詳細は不明な伝聞ですが、別の理由でパイロット解釈を採用する価値はなさそうで、ただ、ベルの不等式が決定論の敗北を決定づけていると言えないことは確かなようです。何にせよ、ボーアとアインシュタインの論争の中に答えが無いことだけは確かです。
シュレディンガー*2の猫
本編とは直接関係がないけれど、ネタとして面白いので取り上げます。
粒子と波の二重性という性質を考えると、どうしても腑に落ちないことがあります。
- 粒子は一点に存在する一方で、波は拡がりながら進行する*3
- 粒子はそれが最小単位だが、波は分割することが可能
両者には空間的な拡がりに大きな差があります。これをどう説明するかという問いに、ボルンは各部の波の強度は粒子の存在確率なのだという確率解釈*4を提唱しました。しかし、そうすると、現実の現象と整合させるためには、波束の収束という説明できない現象が必要になります*5。これに対して、次の三つの説*6が唱えられました。
- 「どうでもいいじゃん」=ボーアら正統派量子力学研究者
- 「シュレディンガー方程式に答えがある」=シュレディンガー
- 「未知の隠れた変数がある」=アインシュタインら
フォン・ノイマン*7は、シュレディンガー方程式を数学的に検証して、シュレディンガー方程式には答えがないことを証明しました。で、これ以降は多少の脚色があります(シュレディンガーが関西弁を話すはずが無いですから*8)。
- ノ*9「方程式に答えが無いのは何故だろう?」
- ア*10「だから隠れた変数があるんだって」
- ノ「これは、きっと人間の意識が収束させているに違いない」
- ア「 ( ゚д゚)ポカーン」
- シ*11「この絵*12を見てみい。」
- ノ「で?」
- シ「生きてる猫と死んだ猫の重ね合わせなんてあり得へんやろ!」
- ノ「別に、生と死の重ね合わせがあってもいいじゃん」
- シ「君とはやっとられんわ、ほなサイナラ!」
どう決着がついたかというと、今でも、決着はついていません。この猫の生死については、諸説が喧々諤々状態で、未だに未解決です。唯一の解決策があるにはあるのだけれど。
量子テレポーテーション
言葉の響きから、テレポーテーションだと思っている人も居るようですが、実のところ、量子テレポーテーションは次のような技術に過ぎません。
- オリジナルの素粒子の量子力学的性質を複製する
- その際、オリジナルの量子力学的性質は失われてしまう
全く区別のつかないパチンコ玉を作ることは技術的に困難です。だから、傷の有無、形、大きさ、それらの違いを観察すれば、オリジナルか複製かを見分けることは可能です。しかし、素粒子の場合、スピン等の量子力学的性質に差がなければ、オリジナルと複製を見分けることは不可能です。また、不確定性原理がある限り、波が重なってしまえば、同じ種類の素粒子を区別する方法がありません。
量子力学的性質を完全に複製し、かつ、オリジナルが壊れてしまうのだから、テレポーテーションと見なしても差し支えないじゃないかという意見もあります。確かに、量子力学の世界では、本物のテレポーテーションであるか否かを論じても無意味です。何故なら、オリジナルとは何かという定義が、我々の知る常識と量子力学では全く違うのですから。しかし、我々の知る常識に当てはめた場合、やはり、量子テレポーテーションはテレポーテーションとは呼べません。また、量子テレポーテーションは、量子力学的性質を複製するだけに過ぎないので、実用的なテレポーテーションの技術として応用することも不可能です。
多世界解釈
多世界解釈は、ヒュー・エヴェレットによる波束の収束を必要としない定式化に、現実的な意味を考えて出来たものとされています。多世界解釈は、コペンハーゲン解釈の波束の収束の謎に対して次のような答えを与えています。
- 「波束の収束が起こるのはどうして?」
- 「それは多世界の分岐がそう見えてるだけ」
- 「で、多世界の分岐って何?」
- 「さあ?」
さて、これは何かを解決しているでしょうか。実は何も解決してません。次のような話と同じです。
- 「鳥が飛べるのはどうして?」
- 「それは神の見えざる手で支えられているから」
- 「で、神の見えざる手って何?」
- 「さあ?」
謎を解決するために新たな謎を持ち出すのでは、何も解決していません。というか、返って話がややこしくなってるだけです。多世界解釈が間違っているとする証拠はありません。しかし、従来説より優れている*13という科学理論の必須条件のひとつを満たしていない*14ので異端視されるのも当然でしょう。多世界解釈はSFとして見れば非常に面白い*15ので一部の大物物理学者が支持して人気を集めたようですが、今ではすっかり下火になっているようです。
さて、物語の本編では多世界解釈はどうなってるのでしょうか。優希堂悟や榎本尚哉が多世界解釈を信じているのは確かなようです。しかし、本編の世界で多世界解釈が成り立っているかどうかは、具体的描写に乏しく、ハッキリしません。バッドエンドなどは一種の別世界ですが、それが、多世界解釈によって成り立っているのかどうかまでは分かりません。もしかすると、多世界解釈など二人の戯言に過ぎないという設定かもしれません。そうでなければ、本編の世界は決定論的多世界解釈*16ということになるのでしょう。
*1 分かったところで不確定性原理のおかげで実用的な意味はないので
*2 シュレーディンガーの方が一般的らしい
*3 TIPSの記述は間違いです
*4 コペンハーゲン解釈の原型
*5 その他に、互いに両立し得ない存在確率が干渉する謎もある。そこに多世界解釈が割り込む余地がある
*6 正確には2説+思考放棄
*7 ノイマン型コンピュータを考えた数学者
*8 そこかよ!
*9 ノイマン
*10 アインシュタイン
*11 シュレディンガー
*12 猫の絵は有名なので省略
*13 従来説では説明のつかないことが説明できるとか、同じことがよりシンプルに説明できる等
*14 むしろ、無駄にややこしくなる分だけ劣っている
*15 今時の科学者はSF好きです
*16 多世界解釈も決定論と何ら相反するわけではありません。というか、多世界解釈が決定論を前提にしてるのか?
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