Remember11考察 各種資料
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Infinity plus
まとめ
Premium Bookのインタビューには、考察に役に立つ情報は殆どない。 見る価値がある情報と言えば、超人的介入説(プレイヤーが登場人物として物語世界に介入する)が一部の考察者の超拡大解釈に過ぎなかったことと、Remember11が未完成と批判される原因が開発の遅れにあったことくらいだろう。 超人的介入説の荒唐無稽さは敢えて説明するまでもないようなことだし、開発の遅れが批判の原因である事実はファンの期待に反している。 いずれも、明確な答えを求める人にとっては、知りたくもないような情報だ。 既存の考察の真偽を検証する意味では役に立つ。 しかし、どんな真相でも受け入れるという覚悟がない人にとっては、このインタビューを目的にInfinity plusを買う価値はないだろう。
答えがないのは故意?
詳細はRemember11考察を参照のこと。
作者の意図
Ever17の仕掛けについて、Premium Bookには次のように書かれている。
中澤 〜(前略)〜それで、原画スタッフたちに主人公を描かないようにしてねって言うと、「何故?」って聞き返してくる。だからマッチ棒とライターを使って説明したんですが、みんな、何を言ってるのか分からないって言うんですよ(笑)
打越 当時、このシナリオの構造を理解していたのは、ライター陣と、ごく一部の営業さんだけだったんです。これを機に、物語の構造がやっと広まり始めたかな。
中澤 そういう経緯があったものですから、僕らも半信半疑だったんです。このトリック分かりにくいかな、これが分からなかったらこのゲーム全然面白くないぞって(笑)
これは、作者の意図を理解してもらうことの難しさを示している。難解なシナリオになるほど、理解してもらいにくくなるはずだから、Ever17より難解と言われるRemember11ならば、もっと、理解は困難であろう。 このインタビューは、作者による直接的言及以外は、他者の勝手な推測や思い込みが入っているため資料としての信憑性に欠けることを示していると言える。
事実、このインタビューを超人的介入説の証拠として解釈する人もいる。 しかし、説明中で用いられた等号の意味が、超人的介入説を意味すると解釈すると意味が通じない部分がある。 また、Ever17に関しては、常人的介入設定として、主人公とプレイヤーの一体感を示す意味で等号を用いている事例がある。 これらのことから、このインタビューは、超人的介入設定を採用しているかどうかまでは示していない。 むしろ、常人的介入設定を意図したと示唆されているのであって、超人的介入説には不利な証拠と言える。
このように、作者以外の人間の推測や思い込みが入った文章は、作者の意図と正反対である可能性が否定できない。 だからこそ、このサイトでは、個人的な解釈より前に具体的な描写を引用することを重視している。
“アイツ”=プレイヤー?
Ever7の「主人公=プレイヤー」の意味について、Premium Bookには次のように書かれている。
打越 話は『メモリーズオフ』にまでさかのぼりますが、当時、主人公があまりに個性的すぎるとユーザーさんからのお叱りの声が多くて。それを反省点として、行動を常識の範囲内に収めた主人公が『Never7』の石原誠です。『Ever17』の“****”もその延長線上にあります。とにかく主人公=プレイヤーであるという認識を徹底的に高めることで生まれた要素ですね。
中澤 プレイヤーと主人公がいっしょに驚いて、いっしょに悩む。それを心がけました。プレイヤーの知らないことは主人公にも知らせないということに徹していましたね。情報量が同じなら、驚きや悩みをすんなり共有できますから、そこから感情移入してもらおうという狙いでした。
前後の話の流れから見て、その等号の意味は、超人的介入設定(両者が同一人物)を指しているのではなく、常人的介入設定(プレイヤーが主人公に対して一体感を持つ)を意味しているようだ。 プレイヤーを驚かせる目的で超人的介入設定にしたのではなく、個性の強さを反省した結果、常識的な行動を取らせ、情報を同一にして、驚きや悩みを共有して感情移入することを目的とした。 プレイヤーと主人公の一体感を求めたのであって、トリックの一環として超人的介入設定を持ち込んだわけではない。
以上を踏まえて、以下のPremium Bookの引用を呼んでもらいたい。
中澤 本作のストーリーは、キャラクターたちによる“終わりのない復讐の物語”です。
プレイヤーがキャラクターたちの敵になると面白いかなと。プレイヤーって、ゲームのキャラクターたちにとって必ずしも“いい存在”ではないんです。プレイヤーの選択次第で、彼らに悲劇が訪れることもありますし。だから、ひょっとして彼らはプレイヤーを恨んでいる場合だってあるのではないか?その気持ちを物語に落とし込めば、これは新しい。
−だとすると、作中における“アイツ”とはプレイヤーのことなのでしょうか?
中澤 そう解釈できるようにはしてあります。“アイツ”=プレイヤーとは限りませんけど、彼らには、僕ら、“上の次元の者”1人1人を判別する手段がないですし。彼らにとっての僕らは、抽象的に言えば神様のようなものです。今作は神に対する反抗の物語であるともいえるかもしれませんね、
−彼らが“アイツ”を憎む理由とは何なのでしょうか?
中澤 悟は過去に“アイツ”にひどいことをされている。だから呼び出して復讐してやろうと、本作はそういう物語なんです。
打越 当初は冒頭に、プレイヤーが選んだ選択肢のせいで、悟が妹の沙也香を殺めてしまうシーンを入れようという案がありました。
中澤 直接的な描写はさすがにお蔵入りになってしまったのですが、行間でそういうことがあったのだと思ってください。普通に考えるとありえないですよね。可愛い妹ですし。だから悟自身も分からないんです。自分が何故彼女の命を奪う必要があったのかと。それで思い悩んで、「ひょっとして俺は、あの時“何か”に操られていたのではないか」という結論に至る。その“何か”が“アイツ”です。そこから復讐のためにユウキドウプロジェクトが動き出す、と。
「そう解釈できるようにはしてあります」が、あたかも、作者による超人的介入設定の言質であるかのような解釈が一人歩きしているが、 実のところ、作者は、超人的介入設定を明言していないばかりか、「〜とは限りません」と、介入説そのものがミスディレクションの可能性にまで言及している。
その詳細については、Remember11考察 アイツとセルフにて詳細に解説したので、ここでの説明は割愛する。 また、「直接的な描写」が「お蔵入り」になったことは、超人的介入説と致命的に矛盾する。 その詳細もRemember11考察 アイツとセルフにて詳細に解説した。
ゲーム内のキャラクター側からは、正体不明の“アイツ”の存在は認識できても、プレイヤーの存在は認識できないことは明言されている。 とすると、「彼らはプレイヤーを恨んでいる」ということはあり得ない。「彼ら」が恨むことができるのは主人公である“アイツ”だけであって、プレイヤーそのものを恨むことは不可能である。 よって、ここで「プレイヤー」と言われている存在は、多分に主人公の意味と混同されていると思われる。 「“アイツ”=プレイヤー」の「プレイヤー」が本来の意味のプレイヤーでないと文の意味が通らないこと、「僕ら」が現実世界の人間を指していることは明らかである。 しかし、その他の部分の「プレイヤー」は主人公とプレイヤーの総称か、あるいは、主人公そのものとの混同のいずれかであろうが、どちらを意味しているかは読み方によってどうとでも解釈できるのでハッキリしない。
自由に行動を選べるのは登場人物が持つ特性であって、行動の自由に制約を受けるのがプレイヤーの特性である。 行動を選択できるのは登場人物だからであって、プレイヤーだからではない。 だから、「プレイヤーの選択次第で」の「プレイヤー」は、明らかに主人公の意味で用いられている。
プレイヤーの選択がゲーム中のキャラクターの意図した行動ではなく、そのキャラクターにとっては“何か”に操られた物だったとしても、それは、操られていたキャラクターが主人公だったのではなく、操っていた“何か”=“アイツ”の方が主人公だったことを示しているに過ぎない。 “アイツ”が真の主人公であるとは言えるが、それは“アイツ”がプレイヤーと同一であることまでは意味しない。 よって、ここでも「プレイヤー」という言葉も、明らかに主人公の意味で用いられている。
以上のとおり、「プレイヤー」と主人公は、意味が混同して用いられている。 主人公とプレイヤーが等号で結ばれているのは、次のどちらであるのか、この説明から読み取ることは困難である。 よって、このインタビューからは、超人的介入設定を作者が意図したとまでは言えない。
- Ever17の主人公とプレイヤーの一体感の説明の延長として等号を用いている
- 本気で超人的介入設定(“アイツ”の正体はプレイヤーや「僕ら」である)を主張している
「終わりのない復讐の物語」からは、等号が主人公とプレイヤーの一体感を意味するものと示唆していると読み取れる。 “アイツ”に復讐する物語であるなら、“アイツ”と「僕ら」のうちの誰かが同一の存在となることはあり得ない。 何故なら、キャラクターたちが「僕ら」に復讐することは不可能だからである。 キャラクターたちは「僕ら」を殺すことも、物理的に傷を付けることも、拘束することもできない。 多少の精神的ダメージを負わせることは可能かも知れないが、妹の死を償うに値するだけの罰を与える*1のはどうやっても不可能である。 キャラクターたちは、ゲーム世界の中の生命体に対してのみ復讐可能なのだから、復讐するためには“アイツ”はゲーム世界の中の生命体でなければならない。 よって、それならば、等号は主人公とプレイヤーの一体感を示していると考えた方がインタビューの辻褄が合う。
いずれにせよ、作中には、超人的介入設定を匂わせるような描写は一切ない*2。 だから、ゲーム中で示された設定の枠内では、超人的介入設定と疑うことすら出来ない。 超人的介入設定とするためには、ゲーム中で示された設定の枠を逸脱する必要がある。 何でもアリの後付け設定を持ち出して、読者に「そんなのアリか?」「ふざけんな」「金返せ」と言わせるような駄作に貶めない限り、主人公の正体をプレイヤーとすることはできない。 ここで、何のために考察しているのかよく考えて欲しい。 未完成だ、駄作だ・・・と言わせないために回答を探していたのではないだろうか。 それなのに、作品を駄作に貶めてまで回答をこじつけるのでは本末転倒だろう。
確実に言えることは、「キャラクターたち」にとって“アイツ”は正体不明の「神様のような」存在であるということである。 “アイツ”は、人間の姿を持たない未知の知的生命体であることは確かであるが、その正体については、物語中で一切描写されていない。 よって、“アイツ”については、真の主人公で、かつ、未知の知的生命体であるということ以上に言及するには、反則技となる後付け設定が必要になる。
復讐等の描写
「終わりのない復讐の物語」や「神に対する反抗の物語」と言いながら、作中では、復讐や反抗については全くと言っていいほど描かれていない。 作中で、唯一、描かれているのは、優希堂悟(オリジナル)が“アイツ”を恨んでいるらしいことだけであり、恨む理由すら描かれていない。 復讐や反抗のやり方も、実行に移したかどうかさえも描かれていない。 ユウキドウ計画は妹の死から始まったとTipsに書かれて入るが、それが復讐目的だとは一切書かれていない。 考察サイトにあるように、妹を復活させる計画だとする予想も十分に成り立つ。 その場合、復讐する必要は全くない。それに、「キャラクターたち」と言うが、“アイツ”を恨んでいるのは1人だけである。 「ともいえる」は、何が「も」なのかも言及されていない。 唐突に作中にない設定だけを持ち出しておいて、肝心なことは、まだ、出し惜しみするのだろうか。
「悟が妹の沙也香を殺めてしまう」ことは、「直接的な描写」どころか間接的な描写すらない。 それで、どうやって「行間」を読み取れというのだろう。 私の知る限りでは、このインタビューの内容が明らかになるまで、悟が妹を殺したことを読み取った人はいない。 ネットでもそのような意見は一切見かけていない。 間接的な描写があるなら、どうして、誰も読み取れないのだろうか。 それは、全く描かれていないからではないのか。
自分の行動の原因を得体の知れない“何か”のせいにするなんて、どこまで電波なんだと。 常識的に考えて、そのような行動に出る原因は精神的に病んでるからであり、得体の知れない“何か”のせいではない。 電波設定を持ち出すなら、作中でしっかり明示すべきだろう。 今さら、作中にない電波設定を示されても、そうですかとは受け入れられるものではない。
「そう解釈できるようにはしてあります」とは、何をもってそう言っているのだろうか。 そうした解釈をしている人は確かにいるが、それは「できる」ことを示していても「できるようにはしてあります」ことまでは示していない。 そうした解釈は考察者独自の設定を持ち込んでおり、作中の設定だけでは不可能である。 作中には“アイツ”の正体に迫れるような描写は一切ない。 「できる」ではなく「できるようにはしてあります」なのだから、作中にそうした設定が示されてなければならないはずである。 それなのに、どうして「できるようにはしてあります」と言えるのだろうか。
Tips機能
以下、Premium Bookの引用。
中澤 『Ever17』で描写が長くてかったるいというご意見をいただいていたので、説明要素を本筋に入れ込まないようにしようと思い、本作ではTips機能を付けました。
この人は、一体、何を言ってるのだろうか。 ユウキドウ計画の発端等、物語の中の設定に関することは「本筋」で語るべきであって、「本筋」で語らずにTipsでだけ語るのはおかしい。 しかも、グランドフィナーレを見た段階でも埋まらないTipsに重要事項が書かれているのは論外であろう。 また、物語の展開に直接関わってくる理論についても、現実の理論と違っていたりするので、その違いが分かるように「本筋」で語る必要がある。 どんな批判を受けようが、物語を理解するために最低限必要な描写を「本筋」から外すのはおかしい。
integralシリーズ
12Riven
12Riven公式サイトのProduction Notesによると、
integral<インテグラル>とは日本語で「積分」。面積を求める操作。
状況によっては、より高次の関数になることもあり、つまり、次元があがることがあると言える。本作では世界の次元から現実世界の次元への、その次元を超える操作に「インテグラル」という言葉をあてている。そしてこれが、我々が『インテグラル』に込めた想いである。
本作ではこの仕掛けにストーリー、デザイン、演出、操作をからませ、「自分がプレイヤーであるからこそクリアできたし、物語世界の問題が解決できた」という結論に帰結するように構成されている。つまり、プレイヤーもゲーム世界のシステムの一つであり、ゲーム全体を構成するのに欠くことの出来ない要素なのだ。そして、そのシステムを本作では「インテグラル」と名付けた。
ゲーム世界からより高次へ向う仕掛けを用意し、物語世界・開発者・プレイヤーをトータルに結びつけ「全体」を作り上げるシステム、それが「インテグラル」なのだ。
これはゲームにおけるメタフィクションの実験であり、新しいエンターテイメントへの挑戦である。
マヂにツッコミ入れると、2次元の2次関数を積分して2次元の3次関数になる(より高次の関数になる)ことはあるけれど、決して、3次元の関数にはなりません。 だから、積分で次元があがることはありません。
それはともかく、12RIVENのゲーム内容はProduction Notesとは全く違います。 大嘘です。 つまり、これは資料として全く役に立ちません。 作者の打越氏も、「このゲームを示すひとつの象徴みたいなものであって、決してメインテーマというわけではない」とたった一言で否定しています。
作者の他作品
中澤氏
中澤氏の新作としてI/Oがある。 これは、infinityシリーズとSF的風味が似ているうえ、作品を全てクリアした時点で話が完結しており、一見すると、Remember11を解読する上での参考として使えそうに思える。
あまり詳しいネタバレは避けるが、この物語の核となるウンチクは、「シャドウ・ヌル」と「朔夜の秘密」でほぼ全てと言える。 しいて言えば「先進波」が少し関係する程度だろう。 量子力学の話も、男女の出生率の偏りも、ジーンだとかミームだとかの話も、全て完全な蛇足である。 物語の解釈を完結する上で、蛇足部分は必要ないだけでなく、全く役に立たない。 しかし、与えられた情報だけで物語を理解することは十分に可能であり、作品としてはしっかりとまとまっていると言える。
量子コンピュータと知能の関係の話は完全な間違い*3であり、利己的遺伝子についての誤解も見受けられる。 その他、インテリジェント・デザイン(以下「ID論」)を過信している様子も見られ、中澤氏の科学的理解力はあまり期待できそうもない。
もちろん、ある理論が作品中で正解として扱われることは作品の設定に都合が良い理論を採用したことを示しているだけであって、中澤氏がID論信者であることを示しているわけではない。 ただし、これは、ID論が他の科学理論と対等に渡り合える理論として認識しているからこそ成り立つ設定である。 しかし、実は、その認識そのものがトンデモなのである*4。
こうした蛇足や間違いは、Ever17やRemember11には見られない特徴である。 もちろん、infinityシリーズのウンチクに間違いがないわけではないが、I/Oのような明らかな間違いは少ない。 そうしたことを考慮すると、I/OをRemember11の考察の参考とすることが妥当と言えるかどうかは甚だ疑問である。
打越氏
打越氏の新作はEVE new generationである。 これは、infinityシリーズとは打って変わって、現実指向の事件解決物である。よって、Remember11の考察の参考になることは少ない。
一方で、遺伝子の多様性が失われることの危険性を的確に指摘するなどの科学的理解度の高さは伺える。 これは、進化論を誤解している人には理解することさえ難しいことであり、それを理解している打越氏の科学的理解はかなり高度であることが分かる。 こうしたことから、infinityシリーズの科学考証は、主に打越氏によるものと考えられる。
以上により、Remember11の考察の参考にするなら、打越氏の新作に頼りたい所であるが、残念ながらEVE new generationのような方向性の違う作品では参考にすることは難しい。
*1 実際に妹の死を償わせてしまったら、大きな社会問題になるだろう。
*2 ( プレイヤーの選択が主人公の行動に反映されることが超人的介入設定(主人公の正体=プレイヤー)の根拠となるなら、同様のシステムを使っている全てのゲームにおいて超人的介入設定が成立する。 例えば、メモリーズオフの三上智也の正体はプレイヤーであろうか。 そんなはずはない。三上智也はメモリーズオフの登場人物であって、プレイヤーはゲームシステムを通じて彼をコントロールする存在に過ぎない。 同様のシステムは他のゲームにもあるが、だからと言って超人的介入設定とはなっていない。 超人的介入設定とするなら、他のゲームとの違い、すなわち、特別にそう解釈する余地を明確に描写する必要がある。 そうした描写がないのでは、超人的介入設定と解釈する根拠はない。)
*3 人間の脳の働きは量子コンピュータとは似ても似つかない。人間の脳に似た物としてはニューロコンピュータを挙げるべきだろう
*4 言うまでもないが、ID論は、科学に似せた宗教解釈である。 ID論以前には、類似品として創造科学があったが、ペンシルベニア州連邦地裁が創造科学は科学ではないとする判決を下す等、創造科学を科学と認めさせることが困難となったために、その対抗措置として宗教色を薄めた物がID論である。 ID論の最大の拠り所は、従来の進化論のような偶然だけでは高度な生物への進化を説明できないとする物だが、これは科学への無理解から来る誤解に過ぎない。 事実、今日の進化論の根幹となる自然選択説は必然を説明する理論であり、進化論が偶然で成り立っているわけではない。
Keyword(s):[Remember11考察]
References:[考察の基本原則] [Remember11レビュー] [プレイヤーの介入?] [Remember11考察 アイツとセルフ(旧)] [Remember11考察 優希堂沙也香] [Remember11考察 前置き] [Remember11考察(旧)]