Remember11考察 アイツとセルフ(旧)
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アイツ
以下、TIPS88「アイツ」の記述。
その者には、過去がない。
その者には、未来がない。
正確には、時間という概念が存在しない。
その者には、「過去」も「現在」も「未来」も、ただ1点だけに集約される。
点。
虚無。
0次元。
重なり合った3つの海。
何も無いところに、その者はいる。
絶対的な意思だけがそこにはある。
絶対的な、意思。
彼らにとっての。
例えるなら、ダビデ。
まさしくそれは、彼らすべてを御する『王』だった。
そして・・・
『彼』にとっては、憎悪すべき宿敵。
『彼』−例えるなら、サウル。
2012年を溯ること11年前−。
始まりはそこにあった。
だが悟は・・・
あなたは・・・
それを、知らない。
これだけでは何のことかサッパリ意味不明。 わずかに解読できる部分を読み解けば、「すべてを御する」「絶対的な意思」であるならば、アイツとは、この世界の神のような存在だろうか。 そして、何故か、『彼』はアイツを恨んでいる。 Infinity plusのPremium Bookのインタビュー記事の「今作は神に対する反抗の物語であるともいえるかもしれません」という中澤氏の台詞がそれを裏付けているのだろうか。
アイツには、過去や未来がないとは書かれているけれど、現在がないとは書かれていない。 そして、「時間という概念が存在」せず、「『過去』も『現在』も『未来』も、ただ1点だけに集約される」「0次元」なのだから、アイツには「現在」だけが存在しているのだろう。 では、アイツにとっての現在って何時なのだろうか。 そして、その「現在」に居る必然性とは何だろうか。 そして、過去や未来の情報を得たり、干渉したりする方法はどのようなものか。 このように、TIPS88のアイツに関する記述に間違いがないと仮定すると、どうにも解消し難い問題が生じる。
これは、TIPSをまとめた人の勘違いと考えた方が無理がないように思われる。 おそらく、0次元人という設定が先に示されていて、そこからTIPSを考えたのだと思われる。 そして、きちんとチェックされないまま出荷されてしまったのだろう。 例えば、このTIPSの定義では過去も未来もある我々地球人は四次元人になる。 それでは、前作の真の主人公と同じ存在になるはずだ。 つまり、0次元人という設定は、単に三次元的な大きさを持たないということであって、過去も未来もないという設定ではなかったと推測できる。
ただし、ひとつ、過去も未来もない存在はあり得る。それは、作者だ。 正確に言えば、作品を生み出した瞬間*1の作者の思考だ。 そして、一瞬で物語が完成されたと仮定すると、その瞬間だけ作者が物語の世界に干渉したことになる。 つまり、その仮定なら、物語にとっての作者は、確かに、過去も未来もない「ただ1点だけに集約され」た存在と言える。 作者は、プレイヤーのように主人公達とともに同じ時間を過ごしていない。 尚、アイツ=作者説については、必要な描写を全く回収できていない。 また、回収しようにも、かなりの困難が予想される。 よって、一つの可能性として考慮すべきとだけ指摘して、現時点では、保留する。
とにもかくにも、「0次元」という設定には分からない部分が多いため、分からない部分に対しては素直に保留し、あまり深読みしすぎないのが、適切な考察態度だろう。
以下は、オープニング・ムービーのテキスト。
「ある時、無から有が現れた」
「同一軸により生じた双子は、不思議な運命を共有する」
「失われた半身を求めて、どこまでもどこまでも追い続ける」
「光を超えて−。無限を超えて−。」
「対なすもの。あるいはその中間」
「男と女。仮面の落とした影。老賢人に添う大母。道化を装う英雄。朱と青。その中間」
「すべてを掌握するもの。全てであり全てでないもの。三位一体。神でも悪魔でもないもの」
「アイツは・・・どこだ?」
この文章を読んだ限りでは、三位一体の「三位」とは「対なすもの」と「その中間」であり、ここに挙げられた事例では次のとおりと解釈できる。
- 男と女とその中間
- 仮面と影とその中間
- 老賢人と大母とその中間
- 道化と英雄とその中間
- 朱と青とその中間
- 神と悪魔とその中間
そして、アイツとは、「三位」の「全てであり」かつ「全てでない」存在で、「すべてを掌握するもの」ということだろうか。 さて、これが何を意味するのか?・・・サッパリ分からない。分かるわけがない。全く意味不明。 これを理解するには、ユウキドウ計画が成功して第三視点が開眼する必要があるのだろう(笑)。
アイツ=プレイヤー説を検証
基準 | 判定 |
---|---|
“アイツ”=プレイヤーを示唆する描写があるか? | NO! |
作者は“アイツ”=プレイヤーと明言しているか? | NO! |
仮に“アイツ”=プレイヤーが真相だったとして、それを明らかにする必要があるか? | NO! |
“アイツ”=プレイヤーだと作品が向上するか? | NO! |
“アイツ”=プレイヤーで辻褄が合うか? | NO! |
“アイツ”=プレイヤーを示唆する描写があるか?
“アイツ”=プレイヤーを示唆する描写は皆無である。 本編中で提示された優希堂悟(主人公)の記憶は、全て、優希堂悟(オリジナル)がゲーム開始前から持っているはずの記憶であり、プレイヤーが知り得ないものが多い。 「記憶移植」設定も“アイツ”=プレイヤーであることを必要としない。 “アイツ”の能力についても、プレイヤーの存在を示唆する要素は全くない。
“アイツ”=プレイヤー説は、例えて言うなら、普通に物を持ち上げたシーンを見て、 「今のは魔法で持ち上げたんだ。手は添えていただけだ。」と言い張るようなものである。 既に魔法使いの存在が明かされていたり、魔法を示唆するような描写があるならば、このような主張にも一理あると言える。 しかし、そうした描写が皆無で、作中に魔法の「ま」の字も出て来ないなら、魔法説を主張する動機は全くない。 魔法設定の無い物語において、魔法を使わなくても実現可能な現象を説明するのに、どうして魔法が必要なのか。 これと同様、Remember11にも、作中に、“アイツ”=プレイヤー説を主張する動機が全くない。 作中にない動機を作品外部から持ち込むのでは、電波解釈以外の何物でもないだろう。
作者は“アイツ”=プレイヤーと明言しているか?
Infinity plusのPremium Bookのインタビュー記事には、“アイツ”=プレイヤーか?との問いに対して、「そう解釈できるようにはしてあります」と書かれている。 一方で、その直後に「“アイツ”=プレイヤーとは限りません」と、その解釈が絶対ではないことも示している。 このように、作者は、非常に曖昧な表現を用いて、明言を避けている。 また、ここで言う「解釈」の意味が、一部の描写だけに基づく【部分解釈】なのか、物語全体から総合的に判断した【全体解釈】なのかも明言されていない。 もし、「解釈」が【部分解釈】を意味するなら、その「解釈」が【全体解釈】と整合しない可能性を指して、「限りません」と言っているのだろう。 だとすると、ミスディレクションを狙ったことについて「してあります」と言っていることになる。 というように、この記述はどうとでも解釈できるため、何が正解かを知る手がかりにはならない。
一方で、真の主人公が“アイツ”はあって、「キャラクターたち」にとって“アイツ”は正体不明の「神様のような」存在であることは明言されている。 確実なことは、ゲームの中の世界からはプレイヤーの存在を認識することが出来ないことだけだ。 それ以上の詳細を読み取れるようなことは書かれていない。
仮に“アイツ”=プレイヤーが真相だったとして、それを明らかにする必要があるか?
作者によれば、Remember11は、「神様のような」“何か”である“アイツ”を「呼び出して復讐」する話だと言う。 ようするに、“アイツ”への「復讐」が実現できれば良いのであり、“アイツ”が具体的にどんな存在かは明らかにする必要がない。
前作でも、真の主人公の詳細については明らかでないが、そのことは全く問題となっていない。 ようするに「復讐」が説得力を持てば良いのであって、“アイツ”の全てが明らかとなる必要はない。 言い替えると、“アイツ”の正体が明らかとなっていても、「復讐」が説得力を持たないのでは本末転倒である。 ゲームの登場人物が、“アイツ”の存在を何らかの方法で認知し、かつ、干渉する方法を手に入れられないなら、「復讐」は実行不可能である。 仮に、“アイツ”=プレイヤーだとしても、妥当な情報の入手経路が示されなければ、「復讐」は説得力を持たない。 逆に、“アイツ”が正体不明のままであっても、妥当な情報の入手経路が示されれば、「復讐」は説得力を持つ。
たとえば、前作では、真の主人公の正体は不明だが、干渉方法の妥当な入手経路は用意されていた。 それと同じなら、同等の説得力を持つことができる。 よって、それ以外の“アイツ”の詳細は明らかにする必要がない。 だから、作者は、曖昧な表現を用いて、明言を避けたのである。 確定させる必要がないのであれば、自由な想像を促した方が面白い。
“アイツ”=プレイヤーだと作品が向上するか?
“アイツ”=プレイヤーとする設定は、作品を少しでも良くするだろうか。 いや、全く良くしないどころか、逆に陳腐となるだけであって、そのような設定は無い方が良い。 そのような設定では、ゲーム世界と現実世界の関わりに説得力を持たせることが極めて難しい。 そこまで大風呂敷を広げてしまうと畳むのは不可能に近いだろう。 風呂敷をきちんと畳めれば凄い作品になるのだろうが、広げっ放しでは返って陳腐である。 事実、作品中には、その設定に説得力を持たせるだけの答えは用意されていない。 また、その設定を採用した考察をする人は少なくないが、誰も説得力のある答えを用意した人はいない。 説得力のある答えを用意できないくらいなら、陳腐な設定は導入しない方が良い。
“アイツ”=プレイヤーで辻褄が合うか?
“アイツ”=プレイヤー設定は、“アイツ”がプレイヤーの意に反する行動ばかり取ったり、致命的な矛盾をたくさん生じさせる。 TIPSの定義とも矛盾する。 何故なら、プレイヤーや主人公には、時間の概念があり、現在と過去と未来が存在しているのだから。 それは、ゲームの中から見ても外から見ても変わらない。 この定義に合うアイツ像を考えると、プレイヤーが未だ知らない第三の存在でなければならない。
Infinity plusのPremium Bookのインタビュー記事も、“アイツ”=プレイヤー設定と矛盾している。
打越 当初は冒頭に、プレイヤーが選んだ選択肢のせいで、悟が妹の沙也香を殺めてしまうシーンを入れようという案がありました。
中澤 直接的な描写はさすがにお蔵入りになってしまったのですが、行間でそういうことがあったのだと思ってください。普通に考えるとありえないですよね。可愛い妹ですし。だから悟自身も分からないんです。自分が何故彼女の命を奪う必要があったのかと。それで思い悩んで、「ひょっとして俺は、あの時“何か”に操られていたのではないか」という結論に至る。その“何か”が“アイツ”です。そこから復讐のためにユウキドウプロジェクトが動き出す、と。
“アイツ”に操られて妹を殺したのだとする推測が正しいとするなら、“アイツ”=プレイヤー設定を採用すると、優希堂悟を操った者の正体はプレイヤーとなる。 ところが、このシーンが「お蔵入り」になったのであれば、妹殺しに関してプレイヤーは無実である。 直接手を下したわけでもなく、幇助も教唆もしていない。 そう、全く関与していない。 シーン自体が無いのだから、プレイヤーの全く知らない所で知らないうちに起きた事件である。
さて、主犯どころか共犯でもない犯人とは如何なる者か? 何処をどう考えても、犯行に全く関与していない犯人ということはあり得ない。 妹殺しは、物語の始まりとなる重要なイベントであり、“アイツ”=プレイヤー設定を採用するのであれば、決して「お蔵入り」させてはならないはずである。 これは【物語を読み解くヒントとなる描写が欠けている】というレベルの話ではない。 物語の辻褄が完全に破綻しているのである。
このインタビュー記事で示された内容は、作者の言とはいえ、完全な後付け設定なのだから、採用すべきかどうかには疑問が残る。 しかし、ここでは、敢えて、その問題には言及せず、正しいという仮定における話をする。 もし、このインタビュー記事が正しいのであれば、“アイツ”=プレイヤー設定は、辻褄が完全に破綻する。 よって、このインタビュー記事を真に受けるならば、“アイツ”=プレイヤー設定は間違いだと結論付けられる。
ところで、余談であるが、当初構想に「プレイヤーが選んだ選択肢のせいで、悟が妹の沙也香を殺めてしまうシーン」があったのだとするならば、妹が死なないパターンも用意されていたことになる。 何故なら、どの選択肢を選んでも「悟が妹の沙也香を殺めてしまう」ならば、「プレイヤーが選んだ選択肢のせい」とは言えないからである。 では、妹が死なないパターンには、どのようなシナリオが用意されていたのであろうか。 「悟が妹の沙也香を殺めてしまうシーン」だけではなく、それに付随する展開も「お蔵入り」になったようである。
セルフとは?
この物語ではアニマだとかアニムスとかユングの元型と各登場人物が一対一で対応させられています。 この対応付けを行ったのは、登場人物ではなく作者です。 ということは、アイツとは違ってプレイヤーも候補に入れることが可能です。
とはいえ、犯行当時の犬伏景子がセルフに言及するなどの理由からプレイヤー説は成り立たないのでないかとの指摘もあるでしょう。 しかし、それは、本当に作者の設定したセルフと同一なのでしょうか。 一般論として複数の登場人物が同じ呼称を使っている場合でも、それが同一の物を指しているとは限りません。 同一の物か別の物かは他の描写も照らし合わせて総合的に考える必要があります。
まず、作者が登場人物に対応させた元型について考察します。 そもそも、この元型は何の原型なのでしょうか。 何れかの登場人物の元型とは考えにくいですね。 山小屋サイドとスフィアサイドの全員を統合した人格を持つ誰かが存在するとは、とても考えられません。 とすると、これらは登場人物以外の元型ということになります。 そこで、物語の外の世界まで視野を拡げると、次のような可能性が思い当たります。
- 作者
- プレイヤー
- ゲームそのもの(擬人化)
どれも、こじつければ何とでも言えそうです。Infinity plusのPremium Bookには以下のように書かれています。
中澤 〜(前略)〜いわばあの世界は、1人の人間の中の心理現象、とも考えられるわけですね。
「1人の人間」が誰を指しているのは言及されていないけれど、これら元型の持ち主が存在するとも考えられるわけです。
次に、登場人物の言及した元型について考察します。 これはいずれも犯行当時の犬伏景子と関係があります。 病院に居た人物のシャドウという発言には何か意味があるのでしょうか。 思わせぶりな台詞で実は全然無関係では、あまりに荒唐無稽ですね。 とすると、やはり、何か意味があるのでしょう。 そう考えると、この人物は、以前から、犬伏景子の精神疾患を知っていたことになります。 しかし、犬伏景子がDIDと認定されたのは犯行後のはずです。 これは、妙ですね。 やはり、犬伏景子は、犯行以前からライプリヒ製薬の実験体であったのではないかと疑われます。 シャドウは明らかに犬伏景子を指していました。 そして、セルフも犬伏景子の発言です。 もしかすると、これらは、犬伏景子の人格一つ一つに名付けられた別名であるのかも知れません。
最後に両者のセルフの関係を考察しましょう。 作者が対応させた元型をプレイヤーとして考え、犬伏景子の実験とアイツが関わっていたと考えると、両者に接点が生じます。
以上の通り、可能性としては何とでも言えますが、断定的に物を言うには情報不足です*2。
真の主人公
真の主人公が現実の可能性を狭めてしまった描写が何カ所か見られます。 たとえば、ココロ編1日目の夕食がそうです。 このときの選択肢は三択ですが、黛鈴や楠田ゆににも同様に三択の選択肢があるなら、可能性は合計として27通りあるはずです。 しかし、実際には、そのうちの3通りしか起きません。 もし、主人公が何を選んでも黛鈴や楠田ゆにの選択が変わらないと仮定すると、その場合でも3通りの結果しか無いわけですが、それならば、三人の選択が必ず一致することが説明できません。 以上のことから、真の主人公には、未来の可能性を狭める力があると考えられます。
時空間転移装置の説明に量子力学的な説明が出てくるところから連想すると、この真の主人公の能力は波動関数の収縮という現象に似ています。 Infinity plusのPremium Bookによれば、真の主人公が“アイツ”であることは確実なので、その現象を引き起こす能力が“アイツ”固有のものであることは明らかです。
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