物語の条件
大仕掛け
読者に一定の驚きを提供するために作品全体に大掛かりな仕掛けを仕込む場合には一定の約束事を守る必要がある。
仕掛けに用いる設定は、どんなに現実離れしていても良い。 何故なら、Fictionであって、Documentaryではないのだから。 作り話が現実離れしているのは当り前である。 SF作品に出てくる設定も、そのほとんどは現実離れしている。 ハードSFと呼ばれるジャンルでは科学考証が重視されるが、それでも既存の科学理論と矛盾しない程度の科学考証を行なえば十分であり、具体的な実現方法まで示すことは求められない。 何故なら、具体的な実現方法を示せるならFictionではなくDocumentaryになってしまうからである。本当に実現可能な範囲に限定されては、ワープもタイムマシンも描けなくなってしまう。 そんな足かせをはめられては、SFの醍醐味など実現できはしない。 ファンタジーなら、尚更、現実離れした設定が必要であろう。 現実的な設定を求められては、ハリーポッターが魔法を使うこともままならなくなってしまう。
絶対守らなければならない約束事は1つ、万能設定を作らないことである。 例えば、単独行動している宇宙戦艦が敵の大群に囲まれた状況を考えて欲しい。 そこで、「実は密かに新兵器を開発してたんだ」と、読者の知らない新兵器を出して、敵を一掃させたとしたらどうだろうか。 それがアリなら、敵の数が万であろうと億であろうと兆であろうと、作者が勝つと決めたら、 絶対に勝てる。結果を決めるのは作者の意思だけであり、事前に用意された設定は結果とは全く関係がない。 そんな都合の良い新設定を何時でも自在に用意できるなら、実は、初めからピンチでも何でもなく、ピンチを装うのは見せ掛けの演出に過ぎない。 それでは、ピンチとチャンスが交互に来るようなタイム・スケジュールを機械的に実行しているだけだ。そんな小説なら小学生にも書けるだろう。 圧倒的不利を覆すだけの合理的戦略や戦術が用意されるからこそ、逆転劇に説得力が産まれるのである。 そうした合理的戦略や戦術を用意せず、作者の意思と御都合主義的な後付け設定だけで逆転劇を演出するのは幼稚な手段である。
物語を面白くするには、設定に何らかの制約が必要である。 制約の中で登場人物が奮闘するからこそ人間ドラマとしても面白いし、反則なしの知恵=制約内での合理的戦略や戦術を披露するからこそ作者の思考に感心するのである。 そして、制約は、形式的に留まる物ではなく、実質的に意味を持つ制約でなければならない。 たとえば、魔法不可の設定でありながら、魔法でもなければ解決不可能に見える課題を解決するならば、その設定は実質的な制約になっている。 しかし、明らかに魔法が不要な課題ならば、魔法不可の設定は、実質的には何の制約にもならない。 後者の場合は、形式的な制約であって、実質的な制約とはなっていない。 実質的な制約が全くない設定は、実質的万能設定と言えるだろう。
制約の内容を事前(問題解決の直前では遅い)に明示しておく必要がある。 もし、後から制約の内容を変更できるならば、解決策に支障が出ないように制約を自由に決めることができ、実質的万能設定が可能になってしまう。 いや、先に制約を明示しても、実質的万能設定は可能ではないかと思うかも知れない。 しかし、初めから実質的万能設定であることが明らかなら、読者をワクワクさせることはできない。 制約を事前に明示することと話を盛り上げることを両立させたいなら、実質的万能設定は使えないのである。 だから、【制約を明示せず、あたかもピンチに陥ったかのように見せ掛けながら、最後に実質的万能設定で解決する】ということだけを禁じておけば良い。
制約の内容を事前に明示した設定を、ここでは「先付け設定」と定義する。 ただし、先付け設定と言っても、必ずしも、「先出し設定」である必要はない。 制約の内容さえ事前に明示しておけば、その制約の枠内での新設定は何時でも任意の時に出して良い。 後から制約を変更するのが禁じ手なのであって、制約を変更しない新設定は禁じ手にはならない。 ただし、主要構成部分以外には後付け設定も許される。
- 完全先付け設定=先出し設定
- 克服すべき課題より先に読者に明かされる設定
- 従属先付け設定
- 既出の先付け設定の下位に属する設定で、既存の制約を変更しないもの
尚、設定には、必ず、可能とも不可能とも断定できないグレーゾーンが生じるが、グレーゾーンを使って課題を解決するのも実質的万能設定である。 課題の解決に使うなら、必ず、事前に可能であることを明示しておく必要がある。 グレーゾーンのまま課題解決のときまで放置してはならない。 尚、ここで言うグレーゾーンとは、新たな創作理論や論理の飛躍なしに到達できない範囲のことを指す。 新たな創作理論に頼らず、かつ、真っ当な論理で到達できる範囲であれば、明示されていなくてもグレーゾーンではない。
内容 | 判定 |
---|---|
既出の説明から不可能と断言できる | 黒 |
不可能とは断言できないが、可能にするためには新たな創作理論や論理の飛躍が必要 | グレー |
新たな創作理論に頼らず、かつ、真っ当な論理の範囲で可能と判断できる | 白 |
先付け設定でも、作者が成功すると決めたら必ず成功するという点は変わらない。 しかし、どんなに作者が成功すると決めても、成功方法を見つけられる保証は何処にもない。 成功して当然の状況、すなわち、初めからピンチではないなら、話は全く盛り上がらない。 「どうやってこのピンチを凌ぐつもりだろう」と読者をワクワクさせるには、ピンチを作ることが必須になる。 そして、読者を納得させる方法でピンチを切り抜けるには、読者の裏を書きつつも理に適った戦術や戦略を示さなければならない。 読者を楽しませるのは、そうした読者の裏を書きつつも理に適った戦術や戦略であって、ご都合主義のタイム・スケジュールではない。
口で言うのは容易いが、実際にやってみるのは難しい。 と言うのも、解決策をバレないようにするのが難しいからである。 何らかの具体的な設定を提示すれば、それが解決策に使われるのではないかと、必ず、疑われる。 読者の探求を躱して真相を隠し続けるのは難しい。 先付け設定を示しながら、真相を隠蔽する方法として、例えば、一般的目的には全くと言っていいほど役に立たない些細な設定ながら、解決すべき課題にとっては極めて有効な設定を作っておき、その設定よりも具体的課題をずっと後に出すというやり方*1がある。 これだと、設定を出す時点で疑われても、その時点では課題が分からないから、解決策がばれることはない。 後で課題が示された時には、そのような設定があったことも忘れられている。 そして、いざ、課題を解決する時になって、初めて、「あっ、それか」と読者を感心させるのである。 他に、その設定が登場する別の合理的理由を明示するというやり方もある。 読者は、たいてい、ひとつ納得できる答えを見つければ満足してそれ以上の探求を止めてしまう。 明示した制約の枠内に暗示した制約を設ける手もある。 この場合、実際には暗示した制約には従う必要がないが、その暗示した制約にも従わなければならないと読者に誤解させれば、暗示した制約の枠を超える手段に気付かせないことができる。
とにかく、先付け設定は難しい。 難しいからこそ、プロの腕の見せ所なのである。 素人には難しくとも、物書きの道で飯を食うなら、出来て当然のことであろう。
創作理論はブラックボックスが好ましい。 どのような条件で何が起きるか、または、どのような条件で何が可能かは必須であるが、それがどのような原理で起きているかは描かない方が良い。 どうせ疑似科学の部類に入るのだから、説明しても作品の質の向上には役立たないし、むしろ、胡散臭くなる分だけ無い方がマシと言える。 逆に、原理説明を詳しく描いても、その原理で何が起きるか、または、何が可能かが不明確では困る。 それでは設定を示していないのと変わらない。
推理物(ミステリー)
推理物では、読者の知らない情報を元にして探偵に推理させてはならない。 推理物は、探偵と同じ推理が出来るかどうか、読者に挑戦状を叩き付ける物語である。 そして、その挑戦はフェアでなければならない。 推理に必要な情報を探偵にだけ知らせて読者に知らせないのでは、探偵に出来る推理が読者に出来ないのは当り前である。 純粋に推理力の差で勝負すべきであって、情報格差で読者の推理を妨げるのはフェアではない。
極端なことを言えば、推理に不要な情報ならば後付け設定も許される。 何故なら、推理物では、推理に関わること以外はオマケ要素だからだ。 オマケ要素では、どんなに首を傾げたくなるような設定を持ち出しても構わない。 いや、むしろ首を傾げたくなるような設定を出した方が面白い。 推理部分では大真面目な話を展開しておいて、オマケ部分で思いっきり羽目を外せば、その格差が面白い味付けとなり得る。 これは推理物に特有の約束事ではない。 推理物以外のジャンルであっても、主要構成部分以外には後付け設定が許される。 推理物では、推理に関係する部分が主要構成部分になるというだけである。
ジャンルの明示
推理物であるかどうかは、事前に明示しておく必要がある。 何故ならば、それ自体が、推理のための最も基本、かつ、必須の情報だからである。
推理物だと分かっていれば、読者は細部にまで注意を払う。 しかし、推理物でないことが明らかであれば、読者は力を抜いて軽く構えるだろう。 何故かと言えば、細部にまで注意を払って描写を追うのは疲れるからである。 だから、読者は、必要がないならば、無理して細部に注意を払ったりしない。
これを逆手に取って、推理物ではないと思わせて、その実、推理物だった・・・というやり方は卑怯である。 プロの推理作家は、読者に、細部を細かく調べ上げられても、それでも、簡単にはバレない謎を仕掛けなければならない。 正攻法で勝負せず、虚偽の情報を用いて読者の怠慢を利用するのは、推理作家としてのレベルの低さを誤摩化しているだけに過ぎない。 確かに、推理物でも、読者の怠慢を誘うテクニックは存在する。 しかし、それは、個々の情報の重要度を誤認させることによって行なうべきであって、作品全体が推理物でないと誤認させることによって行なうべきではない。 何故なら、前者はフェアであっても後者はフェアでないからだ。 トリックがあることを明示しておいて、読者が、そのトリックにはめられるならば、それは、読者の自業自得と言える。 推理物だと予告されている以上、作品中で仕掛けられたトリックについては、疑わない方が悪い。 しかし、作品全体の性質を偽っているならば、読者に、それを疑えというのは酷であろう。
逆に、推理物と思わせて推理物ではないなら、読者に無駄骨を折らせていることになる。 それでは、思わせぶりなだけで中身のない作品となる。
SF的ギミック
推理物でもSF的ギミック等を出しても良いが、その際には注意が必要である。 推理に影響を与えないことが明らかであれば、どんなギミックを用いても差し支えがない。 ただし、推理に影響を与えることが明確か、あるいは、影響が明確でない場合は、そのギミックに関わる設定も推理に必要な情報となるので、何が可能で何が不可能かを種明かしの前に明示しておく必要がある。 つまり、推理に必要な設定はただの先付け設定では足りず、完全先付け設定でなければならないということである。
例えば、ギミックとして時空間転移装置(Remember11のギミック)を用いるとする。 もし、推理物でないなら、時空間転移を示唆する描写だけで十分である。 しかし、推理物で、かつ、推理に必須なギミックとして登場させるならば、装置の詳細な機能を明示しておく必要がある。 つまり、事実上、時空間転移装置の存在自体を明らかにする必要がある。 何故ならば、そうしないと推理に必要な情報が読者に提供されないからである。
Remember11では、物語の展開上、時空間転移装置が重要な設定として登場することは言うまでもない。 だから、もし、Remember11が推理物であるならば、時空間転移装置は、推理に必須なギミックとなる。 しかし、Remember11では、時空間転移装置の存在が明らかになるのは種明かしのときである。 よって、Remember11は推理物としての条件を満たしていない。
やってはいけない反則技
御都合主義
御都合主義とは、未出の超科学設定にほぼ100%頼り切って物事を解決する展開を言う。
- いわゆる、後付け設定
- 複雑な独自の超科学設定(「難解設定」参照)
誤解のないように断っておくが、超科学設定を出すことは、何ら、御都合主義ではない。 次のいずれかに該当する場合は、超科学設定であっても、御都合主義とはならない。
- 事前に示した十分な伏線で、その設定の存在を示唆している(「難解設定」は十分な伏線とは言えない)
- 単純、かつ、同ジャンルの他の物語から容易に類推できる(使い古されていて、かつ、文明レベル等のその設定を可能とする条件が類似している)*2=同ジャンルの物語からの類推も伏線に含めて良い
- 演出としてのみの利用であり、課題の解決には利用していない
これらを認めないなら、SFやファンタジーは全滅となってしまう。
難解設定
万能設定を作らないためには、制約の内容を直接的描写または簡単な推測で解けるヒントで示さなければならない。 制約の内容を知るのに、複雑な推測を必要としてはならない。 何故なら、複雑な推測の過程には不確定要素が発生し、それを悪用することで万能設定が可能になるからである。
全く間違いのない複雑な知識を披露するのに十分な知識を持っている著者は、極、稀な存在である。 そのため、登場人物が間違った知識を披露した場合、次のいずれの設定が真相か、読者が判断することは難しい。
- 登場人物の知識は故意のミスディレクションであり、物語中の「正解」は後で披露される
- 物語中の「正解」は、正しい知識に基づいている
- 物語中の「正解」も、別の間違った知識に基づいている
- 作者は本気で間違えており、その間違った知識こそが物語中の「正解」である
極端な事を言えば、作者が本気で間違えている場合は、登場人物が正しい知識を披露しているのに、物語中の「正解」が間違っていることも起こりうる。 以上のようなことは、不確定要素の少ない単純な設定では起こりにくいが、設定が複雑になればなるほど起こりやすくなる。 と言うより、複雑な設定は、何処かで致命的な間違いを冒していることの方が圧倒的に多い。
これを悪用すれば、読者を間違った推測に誘導して不可能だと認識させておいて、推測のやり方次第では可能になるという、裏を掻いて問題を解決することが可能になる。 それでは、作者特権を悪用して制約の内容を隠し、事実上の万能設定が作っているに等しい。 つまり、設定を難解にすることは、後付け設定=重大な反則を可能とするために策を弄している。 策を弄して反則を行なうことは、何も策を弄さずに反則を行なうよりも卑怯な行為である。
ただし、次の場合においては、難解設定も反則とはならない。
- 著者が著名な物理学者である等、物語中で披露される作者の知識の正しさが確実に保証される場合
- 物語の主要構成部分ではないオマケ部分での難解設定
作者の知識の正しさが保証されるならば、策を弄する余地がない。 その場合、登場人物が間違った知識を披露した場合は、正しい知識に基づいた「正解」があることが保証される。 また、登場人物が正しい知識を披露した場合は、それが物語中の「正解」があることが保証される。
秘密設定
実は、後付け設定よりタチの悪い設定がある。 それは、何らかの創作設定が必要とする描写を行なっておきながら、最後まで設定内容を秘密とすることである。 設定内容を明かさないのだから、後付け設定以上に何でもアリとなる。 後付け設定でも、設定内容については具体的に考えておく必要がある。 先付け設定と比べれば遥かに楽ではあるが、思考の手間が0になるわけではない。 しかし、秘密設定であれば、何も考える必要がない。秘密設定に比べれば、後付けでも設定を明かすだけ、まだ、マシな方だろう。
難問を読者に突きつけておいて回答を示さないわけだから、作者自身にも解けるかどうかが明らかでない。 もっと言えば、解のない難問を読者に突きつけることも可能になる。 読者は、解がある前提で難問に挑むわけだから、解がないのでは裏切り行為だろう。 初めから何も考えていないことを隠すために秘密設定を使うのでは幼稚すぎる。
仮に、解を用意していたとしても、推測に必要な情報を秘密にするのでは、その解に辿り着きようがない。 創作設定は、現実に反した設定であり、平たく言うと嘘である。だから、その内容は、作者が明らかにしない限り、読者は知り様がない。 たとえば、自分の正体を偽るとしたら、貴方はどんな嘘をつくか。 性別を偽るのか。名前を偽るのか。年齢を偽るのか。人種を偽るのか。仮に、年齢を偽るとして、何歳と言うつもりか。 このように、何をどんな風に嘘をつくかは、人によって異なる。 他人がどんな嘘をつくか、何のヒントも無しに当てるのは不可能に近い。 嘘である以上、その内容を理解させるためには、最低でも何らかの方法で内容を暗示する必要がある。 何のヒントもない秘密設定では読者は何も知ることできない。 読者に何も提示しないなら、何も描いていないのと同じである。
もちろん、秘密設定も主要構成部分に関わる部分ではないオマケ部分に用いるのは許容される。
意味なき特殊行動や特殊現象
現実に起きないことがフィクションで許される一方、現実に起きるのにフィクションで許されないことがある。 それは、理由もなく普通ではない行動を取ったり現象を引き起こすことある。 たとえば、現実では、大した理由もなく、くしゃみをしたり、言葉を噛んだり、つまづいたり等することがあるが、フィクションでは理由が必要である。 フィクションでは、くしゃみは、風邪か花粉症かうわさ話か鼻をくすぐられたか、あるいは、大魔王を呼び出す時(笑)と相場が決まっている。 それらに類似しない理由でくしゃみをすることは許されていない。 禁則事項となっている理由のひとつは、無駄を省くこと。 そして、もうひとつは、読者を混乱に陥れないためである。
ヒント無き嘘
原則として、いわゆる「地の文」等の読者が無条件に信じなければならない部分には、嘘を書いてはならない。 何故なら、この約束事に違反すると、何が嘘で何が本当か全く分からなくなり、物語が成り立たなくなってしまうからである。 ただし、嘘と本当を見分けるために十分な情報を用意している場合は、例外とされる。
思わせぶりな予告
- この後○○になるとは、この時は知る由もなかった。
- これは、将来、総理大臣になる男の物語である。
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