叙述トリックの条件
本ページはトリックの条件の一部である。
大原則
誤った認識
「叙述トリックとは、守るべき約束事を悪用して読者が無条件に信じるべき情報に嘘を混ぜること」とする間違った認識を時々見掛ける。 しかし、それはトリックどころか、素人にも可能な低レベルの詐欺行為でしかない。 守るべき約束事はキッチリ守ったうえで、読者を誤導するのが本物のトリックである。 それは叙述トリックも例外ではない。 以下、Wikipediaの説明。
典型的な例としては、前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識を逆手にとったものが多い。
- 地の文
- 「地の文」とは、小説において、作品世界の様子を直接読者に伝える手段である。
- システム
- 以下、小説に限らない、作品世界の様子を直接読者に伝える手段を「システム」と定義する。
まず、日本語の間違いから指摘する。 逆手とは、普通とは逆にした手の使い方を言うのであって、普通と同じ方向の手の使い方を「逆手」と表現するのは間違いである。 「前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識」は物語においては本来の目的として利用されること=「正手」であって、「逆手」にとることではない。 「副作用を逆手にとって、別の疾病の治療のためにその副作用を利用した」と言うなら、確かに、「逆手」で間違いない。 しかし、「疾病Aの治療薬であることを逆手にとって疾病Aの治療に使った」と言うのは正しくない。
「前提条件として記述される文章は、地の文や形式において無批判に鵜呑みにしてもいいという認識」を利用したのであれば、ただの詐欺であってトリックではない。 システムに嘘を混ぜて良いなら、何ら仕掛けを用意せずとも登場人物や読者を騙すことが可能となる。 こうした騙す仕掛けに頼らない嘘はトリックとは言えない。 物語におけるトリックとは、登場人物や読者を騙す仕掛けのことを指すのである。
フェア・プレイの原則
トリックには「フェアプレイの原則」があるとされる。
- 地の文に嘘を書いてはならない。
- 解決のための手がかりがすべて読者に提示されなければならない。
作品世界の様子をシステムを通じて読者に伝えている以上、システムが100%信用できるという前提条件は、原則的に破ってはならないルールである。 そうでなければ、全ての描写を無条件に疑わなければならなくなり、信用できる描写は一切なくなる。 信用できる描写がないということは、何も描写がないのと変わらない。 それでは、作品が成立できなくなってしまう。 作品を意味ある物にするには、原則的に、システムは、無条件で信用できなければならない。 つまり、疑うべき部分は、原則、登場人物の言動に限定されなければならない。 そうした基本ルールを無視して、無条件に信用すべき部分に嘘を書けば、読者を騙すのは容易である。 しかし、それは、嘘を信じさせる仕掛けに一切頼る必要がないので、トリックではない。
ただし、システムに仕込まれた嘘であっても、それが信用できないことを示唆するヒントを用意しておけば、フェアプレイの原則に反しないとする主張もある。 このことを「フェアであれば地の文の嘘も許される」と表現することがあるが、それは結果論であって、この問題の本質とは違う。 システムを疑うように仕向けることで、嘘を信じさせる仕掛けを用意する必要性が生じるからトリックが成立するのであって、フェア云々は結果論に過ぎない。 尚、システムに仕込まれた嘘が含まれる場合において、トリックとして成立しているかどうかは、次の点を検証する必要がある。
- 嘘情報が無条件に信用できる情報では無いことを読者が知ることが出来るかどうか
- その情報を無条件に信用できないことを知っていても、読者を欺くことが出来るかどうか
前者を満たさない場合は、システムの嘘に依存しているため、トリックではなく詐欺である。 後者を満たさない場合は、読者を騙す仕掛けが足りないので、トリックが成立しない。
正統派の叙述トリック
正統派の叙述トリックでは、システムに嘘は一切含まれない。 その一方で、読者を早とちり等の誤認へ誘導するように仕向ける。
システムに嘘を混ぜる必要性
トリックを成立させることを目的としてシステムに嘘を混ぜる必要性は乏しい。 何故なら、嘘を見破るために十分なヒントを用意すれば、それが嘘の効果を上回ってしまうからである。 ヒントよりも嘘の効果が上回っているなら、それはヒントが不十分であるからであり、それではトリックではなく詐欺になってしまう。 嘘の効果を上回るヒントを用意するくらいなら、初めから嘘を混ぜない方がトリックは成立しやすい。
まとめ
- 正統派叙述トリック
- システムは一切嘘をつかないが、間違った事実“α”を信じさせる為だけに不自然に偏った情報提示がある。
- ときに叙述トリックとして扱われるもの
- システムが直接的に嘘“α”をついているが、その嘘を見破る十分なヒントが用意されている。十分なヒントがあるとシステムがついた嘘だけでは読者を騙すことができないため、さらに、αへ誤導する別の手段を多数用意している。
- 変則的叙述トリック
- システムが直接的に嘘“α”をついているが、その嘘を見破る十分なヒントが用意されている。そして、αを見破ったと読者を安心させた隙に間違った事実“β”へ誤導する。
- 詐欺(トリックとは呼べない)
- システムが直接的に嘘“α”をついているが、その嘘を見破る十分なヒントを用意しない。
- 空振り
- 間違った事実“α”への誤導が足りていないため、読者を騙すことができない。
守るべき約束事
守るべき約束事と一口に言っても様々な約束事がある。 守るべき約束事となるかどうかを見分けるポイントとしては、それを守らないとあらゆる作品が成立しなくなるかどうかである。 たとえば、省略された描写がある場合、その省略の仕方にも一定の約束事がある。 一定の約束事に従うからこそ、書くまでもない細かい描写が省略できるのである。
以下に、物語の時間描写の例を挙げて説明する。 どんな物語であっても、物語で起きた物事を理解するためには、エピソードの時系列を正しく理解する必要がある。 そして、エピソードの時系列を正しく理解するためには、それぞれの描写の時間の前後関係が明らかでなければならない。 かと言って、次のような頻繁な日付と時刻の明示は作る方も見る方も煩わし過ぎて現実的でない。
- 小説では、文頭に全て日付と時刻を明示する。
- 映像作品では、映像の連続性が途切れる度(カメラが切り替わる度)に、日付と時刻を明示する。
このような煩わしい表現を回避するためには、何らかの方法で日付と時刻を省略する必要がある。 そして、明確な約束事がなければ、日付と時刻を省略することは不可能である。 何故なら、約束事に従うからこそ省略部分を補完できるのであって、約束事なしでは省略部分の補完が不可能になるからである。 そして、約束事を明確とするためには、暗黙のルールとして誰もが納得する内容でなければならない。 たとえば、次のような約束事なら、誰もが納得するだろう。
- 日付と時刻が省略された場合は、通常の読者が読むペース(もしくは、読んだ時のシーンの印象)と作中の時間進行に大差はない
もちろん、この約束事とは違った約束事であっても、誰もが納得する内容であれば構わない。 しかし、日付と時刻を省略する以上、明確な約束事には従わなければならず、約束事に反することは嘘をつくのに等しい。
悪い例
次の場合は、システムが嘘をついている。
- 時間逆行があるのに時間逆行の存在を明示しない
- 通常の時間の流れ超える大幅な時間経過があるのに大幅な時間経過の存在を明示しない
これは既に説明した通りである。
良い例
次の場合は、システムが嘘をついていない。
- 時間逆行や時間経過の約束事はちゃんと守られているが、作中の状況からあたかも約束事が破られたかのように見える
- 手段例1:死んだはずの人物が登場したことに誰も疑問を感じていない→その人物が生きていた過去を描写していると推定
- 詳細手段例1:その人物が死んだように見せ掛けた叙述トリック*1
- 詳細手段例2:別人を本人に見せ掛けるトリック(他の登場人物は別人であることを知っているか、あるいは、本人の死を知らない)
- 手段例2:その時点で完成し得ない物が出現→それが完成するまで時間が経過したと推定
- 詳細手段例1:完成し得ないと思わせたことがトリック
- 詳細手段例2:完成していないのに完成したと思わせるトリック
- 手段例1:死んだはずの人物が登場したことに誰も疑問を感じていない→その人物が生きていた過去を描写していると推定
- 時間逆行や時間経過の存在は明示するが、具体的な経過量については定量的に示さない
- 例:別々に語られる2つの回想の時系列的関係について、実際の順序と描写から推測できる順序が逆
たとえば、作中で時間逆行や大幅な時間経過はないのだが、時間逆行や大幅な時間経過を推定させる情報を提示すると、実際には破られていない約束事をあたかも破ったかの様に偽装できる。 もちろん、この場合は、時間経過や時間逆行を推定させる情報に嘘があってはならない。 これは、システムがついていない嘘をついたと誤認させる手法である。 そして、そのための情報にも嘘がないとなれば、何処にも嘘がないことになる。
別々に語られる2つの回想については、時系列的にどちらが先でどちらが後であるか約束事では決められていない。 そして、前後関係が描写からのみ推測可能で、かつ、その描写に嘘がないならば、何処にも嘘がないことになる。
実例
infinityシリーズ
infinityシリーズでは、主要構造には叙述トリックはない。 ただし、作品によっては枝葉の部分で瑣細な叙述トリックが存在する。
Never7
この作品はトリックの対象外です。
Ever17
2つの視点の出来事の内容が類似していることは、物語の登場人物によって実行された作中の事実を正確に伝えているのだから、システムによる嘘ではない。 両視点の最大の類似点は3組の人物の類似にあるが、これらは全て非現実的な超設定によって実現している。 うち2組の超設定については序盤〜中盤までに明らかにされているが、残りの1組の超設定は真相を明らかにする直前に示されている。 不可能に思わせたことを超設定で可能にし、かつ、その超設定の存在を最期に明かすやり方は、到底、トリックとは呼べない子供騙しである。 これは、例えるならば、密室殺人において探偵が「犯人にはテレポーテーション能力があった」という推理を披露するようなものである。 とはいえ、この例においては、厳密には密室が成立していないなど、不可能犯罪ではないと見破るヒントを具体的かつ事前に示唆すれば、子供騙しにはならない。 というのも、示された事実から論理的に犯行の不可能性を覆せるならば、「テレポーテーション能力」という真の解答に頼る必要がないからである。 荒唐無稽な超設定を持ち出さずとも真相の重要部分(犯行の不可能性の棄却)に迫れるならば、子供騙しに該当する理由がなくなる。 Ever17の両視点の類似性について言えば、真相の重要部分は両視点の出来事が同一ではないことであるから、これを見破るための情報が提示されていれば良い。 そのヒントは次のように多数用意されている。
- 両視点の登場人物の差
- 少年視点では松永沙羅が登場して八神ココが不在、武視点では八神ココが登場して松永沙羅が不在(バタフライ効果を用いれば無理矢理説明することは可能)
- 武視点ではツンデレな小町つぐみが、少年視点では完全に敵対していて取りつく島がない
- 少年視点と武視点での田中優の名前や性格等の違い(バタフライ効果でも説明は不可能)
- 過去に関する言及(このヒントが有効に機能するためには、武視点を先にプレイする必要がある)
- 少年視点序盤で小町つぐみが時間に関するヒントを提供
- IBFについて、少年視点終盤で茜ヶ崎空が昔はあったが今はないと言う
- 第三視点の説明の中で4次元に言及している(時間跳躍の可能性を示唆)
- 歴年等の絶対値に直接言及しないことが不自然なまでに多すぎる等、直接表現を避ける意図が見え見え(何か隠してるっぽい)
これらは、いずれも、2つの視点の物語が同じ出来事ではないことを示しており、その全てがミスディレクションとは考え難い。 とくに、松永沙羅と八神ココの人物の違いは決定的であり、これにより2つの視点の物語が同一と考えることは困難となる。 その結果、両視点の類似性による読者の誤導は子供騙しにはならないが、トリックの成立も難しくなる。 他に誤導手段がなく、両視点の類似性だけに頼るならば、次の前者の方が後者よりも可能性が高いと思わせるには不十分である。
- 両視点は同一の出来事であり、相違点を発生させる何らか仕掛けがある(松永沙羅と八神ココが入れ替わってしまうほどの仕掛けは極めて困難)
- 両視点は別の出来事であり、類似点を発生させる何らか仕掛けがある(3組の人物が類似性を示す仕掛けは比較的困難=超設定の中でもクローン等はSFではありがち)
以上のとおり、両視点の類似性だけでは、トリックが成立するには不十分である。 これに何らかの心理トラップなどを付加すればトリックを成立させることは不可能ではない。 だが、Ever17では心理トラップではなく直接的な虚偽情報に頼っている。
Ever17では、両視点の出来事等の類似性よりも、両視点の交互配置の方が、時間誤認を引き起こす効果が高い。 2つの視点が交互に配置され、両視点の出来事が同時進行であるように見えるのは、真の主人公の特性によるものである。 しかし、真の主人公の特性を読者に知らせずに、かつ、これを読者を欺く手段として作者が利用しようとするなら、システムが嘘をつくのと同等である。 システムがついた嘘を除けばゼロかマイナスで、それにシステムがついた嘘を付加してようやくプラスになるならば、それは、システムがついた嘘に全面的に依存しているのと同じである。 システムがついた嘘に全面的に依存しているならば、それがなければ読者を欺けない。 これは、叙述詐欺とは呼べても、叙述トリックとは呼べない代物である。
以上、2つの視点を交互に配置していることは、トリックとしては全く役に立たない。 しかし、逆に、読者にヒントを与えるための演出としては充分に機能する。 2つの視点が同時進行でないことを仄めかしつつ、一見すると同時進行であるかのように交互に配置する。 そうすることで、時間超越能力を持つ隠された主人公の存在を暗に示しているのである。 事前に必要な情報をそれとなく提示しているからこそ、先付け設定となって、種明かしに説得力が生じるのである。 この演出がなければ、時間超越能力を持つ隠された主人公の存在が唐突な後付け設定に見えてしまう。
Remember11
ココロ編序盤は、真相を知らせるヒントの総量と比較して、読者の誤認を引き起こす罠が不十分であり、その結果、トリックが成立しません。 よって、読者自身の注意力不足による不注意錯覚は生じ得ますが、トリックとしては成立していません。 ココロ編終盤は微妙です。
違う時間に起きていることが同時進行に見えるのは、読者が無条件に信じなければならない部分で間違った情報を提示しているからです。 よって、この手法には見るべきところがありません。
一方で、スフィア側が山小屋側に比べてかなり先の未来であることは、冬川こころ=死亡済という情報によって明らかになります。 時空間転移後に内海カーリーがもう一度言うことが決定的です。 もし、同時進行ならば、その時点で死んだと認識されていることは不自然です。 吹雪で捜索隊も到着していない以上、その時点では、生死が不明なはずであり、行方不明として扱われているはずであって、死んだと認識されていることはあり得ません。 また、面識のない人間にも名前を覚えられているという状況も、捜索隊が来ない段階では極めて不自然です。 内海カーリーが冬川こころの名前を覚えているのは、【夫と共に山小屋でサバイバルした】という情報を得ているからだと考えれば辻褄が合います。 さらに、外部と連絡手段が無いことから、同時進行であれば、内海カーリーは飛行機事故が起きた事実も捜索の状況も知りようがないはずです。 以上のことから、捜索隊が到着してから得られる情報=未来情報を内海カーリーが持っていると考えられるので、スフィア側が山小屋側より未来にあると考えられます。 それも、かなりの日数の開きがあると考えられます。 もちろん、内海カーリーが何らかの事情により嘘をついている場合はこの限りではありません。
一方で、ココロ編終盤に近付いて来ると、登場人物の証言やラジオの放送内容から、スフィア側が山小屋と同時進行であるような情報が提示されます。 これによって、読者は混乱しますが、先に提示された情報でほぼ確定していた推測を後から提示された情報で覆すのは心理的に極めて困難です。 よって、スフィア側が未来だとする推測を覆すよりは、何らかのトリックがあるようだと考えるでしょう。
別々の時間の物語が同時進行に見えるのは、Ever17と同じく、ヒントを与えるための演出だろう。 そうすることで、時間超越現象を読者に強く印象づけているのである。 Ever17とはヒントの露骨さに違いはある(Ever17では時間関係を仄めかすだけだが、Remember11ではハッキリと別時間だと示している)が、先付け設定とすることで、種明かしの説得力が増すことには違いがない。 ただし、Remember11の場合は、時間超越現象は先付け設定でも、それが人為的な装置で引き起こされていたことについては後付け設定となっている。 この辺りはもう少し工夫して、人為的装置についても先付け設定として欲しかった。
12RIVEN
作者特権を悪用した虚偽情報だけにほぼ100%頼っているため、トリックではなく詐欺です。 違う時間に起きていることが同時進行に見えるのは、システムに仕込まれた嘘があるからです。 また、違う場所で起きていることが同じ場所に見えるのも、同様です。
- 同じ人物を違う絵師が書き、違う人物を同じ絵師が書くことで、外見上の類似や相違を混乱させる
- 天気予報や新聞の日付トリックにおいて、場面転換時の主語を省略することで、人物を誤認させる
前者については、主要な構造と同様、システムに仕込まれた嘘そのものです(逆に、同じ人物を同じ絵師が、違う人物を違う絵師が書けば、真相を仄めかす情報となる)。 また、後者も、主要な構造におけるシステムに仕込まれた嘘がなければ成り立ちません。 人物を誤認させる手法としては、実際に場面転換している場面でそれを匂わせるような映像を使用しているので申し分のない叙述トリックと言えます。 しかし、人物誤認は手段であり、それを時間誤認に利用しています。 その時間誤認は、主要な構造がなければ成立しないので、全体としてみれば仕込まれた嘘を信じさせているに過ぎません。
また、真実を知る手掛かりとなる情報は、序盤では、全くと言って良いほど提示されません。 これでは、トリックとは全く呼べない詐欺行為です。
Ever17やRemember11では、一見同時進行に見えるが、実は同時進行ではないと仄めかす(もしくは明示する)ことによって、真相に関するヒントを提示している。 しかし、12RIVENでは、そうした方法で真相に関するヒントを提示しない。 12RIVENでは、ただ、読者に同時進行と思わせるためだけに、視点切替を用いている。 つまり、12RIVENにおける視点切替は、Ever17やRemember11と似ているようでいて、実は、真逆の演出なのである。
他作品
叙述トリックはトリックの手段の類型であるため、ある作品が叙述トリックであると言ってしまうとネタばれになってしまう。 よって、「アクロイド殺し」のような叙述トリック論争を産んだ超有名作品等を除いて具体的な作品名は伏せて紹介する。
アクロイド殺し
発表当時、アンフェア論争を引き起こしたとされるアガサ・クリスティの有名な作品を検証してみる。 この作品は、信頼できない語り手を利用した叙述トリックとされる。
まず、この当時、語り手が100%信頼すべき存在だったかどうかが問題となる。 この作品より前に、信頼できない語り手が登場する作品を信頼できない語り手 - Wikipediaから抜粋してみた。
暦年 | 作品 | 作家 |
---|---|---|
1884年 | ハックルベリー・フィンの冒険 | マーク・トウェイン |
1887〜1927年 | シャーロック・ホームズ | アーサー・コナン・ドイル |
1909〜1912年 | アンブローズ・ビアス全集 | アンブローズ・ビアス |
1922年 | 藪の中 | 芥川龍之介 |
これを見ると、当時、既に、語り手が100%信頼できるとは限らないとする社会的認知はあったと考えられる。 よって、語り手の言葉は100%信頼すべき情報ではないと、当時、既に知られていたと考えるべきだろう。
有名なところでは、アガサ・クリスティが1926年に書いた推理小説『アクロイド殺し』がある。これは、探偵と行動を共にする語り手の書いた手記という形式になっているが、実は語り手が犯人だったという設定になっている。語り手は嘘は書かなかったものの、自らが犯した殺人の決定的な描写をわざとあいまいに書いている。
仮に、語り手をシステムの一部と見なすとしても、嘘をついていないなら、守るべき約束事に違反したとまでは言えない。 以上のことから、本作品は叙述トリックの条件を満たしているとは言えそうである。
(ネタばれ回避のため作品名隠蔽)
ある作品では、読者を間違った推理“α”に誘導するため、次のような手段を用いている。
- 本来なら描写されて当然のシーンであるにも関わらず、描写すればαの間違いが明らかになるので、故意に伏せる
- 本来なら省略されて当然の取るに足りないシーンであるにも関わらず、αを信じさせるのに都合が良いので、敢えて細かく描写する
そして、トリックの条件にて説明した「自力で隠された真相を暴いた」と読者に誤認させるように仕向ける心理トラップを仕掛けている。 最初は分かり難い誤導情報を提示して、段々と、分かり易い誤導情報へ切り替えながら、読者がαに確実に到達したであろう頃にほぼ直球で真相がαと匂わせている。 そうした誤導を仕掛けてαが真相だと読者が確信した後に、今度は、本当の真相を示すヒントを小出しにしていく。 また、誤導情報は、単に誤導のために用意されただけでなく、その情報自体が物語において重要な意味を持つ物ばかりである。
- 真相を知らせるヒントでもあり、当たらずとも遠からずの結論に誘導する情報
- 真相と密接に関係する重要事項であり、物語を理解するために必要な情報
読者を騙すためだけにシステムを操作して情報を偏らせているのであり、読者を欺く為にシステムを利用していることは間違いない。 とはいえ、システムに仕込まれた情報に嘘はなく、守るべき約束事に違反したわけではない。 そして、物語内で起きた事件を正確に読者に伝えており、その正確に伝えられた情報が読者をαに誤導している。 よって、本作品は叙述トリックの条件を満たしている。
(ネタばれ回避のため作品名隠蔽)
ある作品では、ある表現“β”を用いている。 そして、βは、対象を特定できないある単語“γ”を含む。 これは、通常ならば、γの対象についての疑問を差し挟む余地がある。 しかし、この作品ではβがある作風“δ”を意味する極自然かつ典型的な表現に見えるため、読者はその作品がδであると思い込んでγの探求を止めてしまう。 ところが、真相では、γには隠された明確な対象があり、その作品の作風はδではない。 これは、トリックの条件にて説明した読者が納得し得る極めて自然な誤答を用意する心理トラップである。 時折、γの対象についてのヒントを提示しているが、そのヒントの意味することがが非常に分かり難い。 また、通常のδ作品にはない展開を用意して、その作品の作風がδではないヒントも提示しているが、変速型(ギャグ風味)δに見せ掛けることで上手く誤摩化している。
γの対象を明確に示していればβはδを意味しないが、この作品のように不明確なγを含むβはδを意味することが多い。 しかし、意味することが多いだけであって、不明確なγを含むβが必ずδを意味するような約束事はない。 よって、システムに仕込まれた情報に嘘はなく、守るべき約束事に違反したわけではない。 そして、物語内で起きた事件を正確に読者に伝えており、その正確に伝えられた情報が読者をδに誤導している。 よって、本作品は叙述トリックの条件を満たしている。
*1 不治の病を患う人物が思わせぶりに意識を失う描写により死んだと思わせておいて、後のシーンでは普通に行動している…というオチはありがち
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References:[Ever17考察 プレイヤー] [Ever17リメイク版Xbox 360で] [Ever17レビュー] [12RIVEN考察] [トリックの条件] [12RIVENレビュー]